岐阜の老舗が生んだ「金のカツ丼」
カツ丼の歴史は謎に包まれている。大正時代に東京・早稲田近辺で生まれたという説が一般的だが、同時期に大阪で生まれたという説もあるし、山梨では「明治時代からカツ丼がある」と主張する蕎麦店もあり、諸説粉々なのだ。
最もよく知られている卵とじのカツ丼は、東京・早稲田が発祥といわれる。同じく早稲田発祥でもソースカツ丼は福井に移転した店を祖とする説が強い。ソースカツ丼なら群馬や長野などにも老舗が存在する。山陽地方のデミ(グラスソース)カツ丼ほか、“新潟タレカツ丼”“沖縄チャンプルー(野菜)カツ丼”など、それぞれの地方に各地域の特色が色濃く表現されたカツ丼がある。
ところが、岐阜のカツ丼は実に不思議なのだ。通うほどにカツ丼のイメージが混乱していく。
代表的な岐阜のカツ丼としては、瑞浪市の「加登屋食堂」の“あんかけかつ丼”がある。
据わりのいい丼に褐色のカツ、その上から卵の散ったかきたま餡がかかっている。餡のきらめきも相まって「わ! 金箔みたい」と思ってしまう。それほどまでにこのカツ丼は美しい。
1937(昭和12)年(1935(昭和10)年説もあり)に創業した加登屋食堂では、当時希少で高価だった卵をひとつの丼にひとつの卵ではなく、丼ごとに少しずつ使った。「大切に使おう」という気持ちがかきたまのあんかけという形を生んだ。そんな店の心意気がかきたまを金箔に見せるのかもしれない。ちなみに当時の鶏卵の価格は公務員の初任給の約1/100。今の価格だと、1個200円くらい……今の10倍以上。卵はまぎれもなく高級食材だったのだ。
岐阜の東部(東濃地方)名物の”ころうどん”(冷やしうどん)などのセットが選べるのも、足を運んだ身としてはありがたい。