32歳での早世で伝説になったブルース・リー
表紙にこそ起用されていないもものの、1974年にもっとも特集が組まれたスターは、1973年7月20日に32歳の若さで他界したブルース・リーだ。
「ブルース・リー 最後のインタビュー」(5月号)にはじまり、「ブルース・リー未公開グラフ」(6月号)、「ブルース・リー大百科」(7月号)が掲載され、8月号から10月号にわたり3回にわたって連載「ブルース・リーの伝説」が掲載されている。ほかにも「追悼記念グラフ 未発表写真集」(10月号)「本紙記者香港ルポ ブルース・リーの故郷を訪ねて」(11月号)、「独占未発表グラフ ありし日のブルース・リー(12月号)」とブルース・リー尽くしだ。
きっかけは、1973年12月22日に遺作『燃えよドラゴン』が封切られたことだ。世界中でブームを巻き起こした同作は日本でも大ヒットを記録し、1974年の配給収入第2位(16億4200万円)を記録。これをきっかけに、日本未公開だった『ドラゴン危機一髪』と『ドラゴン怒りの鉄拳』が立て続けに公開され、年間ベストテンにブルース・リー作品が3本もランクインするという、空前のブームが起きたのだ。
多くの映画ファンにとって、『燃えよドラゴン』はブルース・リーという伝説のアクションスターを知る最初のきっかけとなったが、本人はすでに故人になってしまっている。「ロードショー」は、読者に稀代のカリスマの足跡を辿る機会を提供していたのだ。