参議院選挙も追い風に⁉

さらに参議院選挙が近づいているという社会的事情も影響しているようです。そう感じたのもお客さんたちの反応からでした。

全国各地の上映館を巡ってゆく舞台挨拶ですが、たっぷり時間があるときは後半に質疑応答があり、お客さんから質問を受けます。どの会場でもほぼ必ず聞かれるのが、大阪で誕生した政党「日本維新の会」について。

「なぜ維新は大阪で強いのか」「なぜ在阪メディアは維新をヨイショするのか」と繰り返し聞かれました。維新旋風が吹き荒れて、私が所属するMBS(毎日放送)でも維新に忖度する空気が漂っている中でよくぞこの映画が生まれたと褒めてくださる方もいます。同業者からも「原動力は何ですか?」と聞かれると困惑します。

ぱっと思いつくとしたら、本作の公開初日に応援に駆けつけてくださった作詞家の湯川れい子さんの言葉です。

「あなた空気を読めない女でしょう。そうじゃなきゃ、この映画は作れないわ!」

確かに私は空気が読めません。さらに言えば、読まないことにしています。それは、もっと自分が大事にしたいと信じることのために取材したいと思うからです。

「問い」から見えてくる政治の劣化

教育は誰のためにあるのか――。この問いは私にとって言葉の深い意味をきちんと言語化できていなかった当時から、大阪の先生たちと子どもたちにずっと教えられてきました。

20年以上にわたって教育行政における小さな変化を映画の中で数珠つなぎにし、現在までに大きな変化に至っている危機的状況を提示できたのも、この「問い」があったからこそで、現在進行形の問題に光を当てたにすぎません。

その過程で自民党の安倍晋三元首相と同調する維新の政治家たちが直接的な政治圧力や介入に走る姿が浮き上がってきたのです。

監督として繰り返し語ってきたことは、本作はイデオロギーの対立を描いたのではないということです。教育の自由や学問の自由に対し越えてはいけない一線を越えてしまった政治の劣化を問うものなのだと訴えているのです。