自衛隊海外派遣の30年は「嘘」と「隠蔽」の歴史だった!?_1
新聞記者・望月衣塑子氏(左)とジャーナリスト・布施祐仁氏(右)

望月 この本は布施さんが記者としてやってきたことの集大成という感じがしました。

布施 2009年ぐらいから始めたものなので、13年かけてようやくまとまりました。

望月 13年ですか!

布施 もともとのきっかけは、2003年に始まったイラク戦争でした。翌2004年にイラクのサマーワに自衛隊を派遣するというので、その直前の2003年末、僕も現地取材に行ったんです。

実際に入ってみると、日本政府が言っていることと現地の状況が全然違っていました。政府は「イラクでは戦争が続いているけれど、中には『非戦闘地域』が存在するから、そこならば自衛隊を送っても戦闘に巻き込まれることはない」というロジックで自衛隊の派遣を決めました。

でも、現地に行ってわかったのは、イラクに戦闘が起きない「非戦闘地域」など存在しないということでした。

僕は「バグダッドで一番安全だ」と言われていた米軍の管理区域近くのホテルに泊まっていたのですが、そこですら、すぐ近くで米軍車両を狙った爆弾攻撃が発生して。それと、夜はバグダッド南部の地域で空爆もやっていましたし……。本当にイラク全土が、いつどこで戦闘が起こってもおかしくない状況でした。

自衛隊海外派遣の30年は「嘘」と「隠蔽」の歴史だった!?_2
遠隔式の爆弾による攻撃が発生した現場に立つ米兵。2003年12月、イラク・バグダッドで布施氏が撮影

自衛隊の派遣先に決まっていたサマーワにも行って住民に話を聞きました。大多数の人は自衛隊が来ることを歓迎していましたが、米軍の攻撃の被害にあった人は「軍隊を送ったら占領軍の一部とみなされ殺されても仕方がない」と話していました。

日本政府が「非戦闘地域」とするサマーワでも、自衛隊がアメリカの占領に反対する武装勢力のターゲットになることは十分あり得ると思いました。

その後、自衛隊の活動や住民の反応などを取材したいと思って2004年8月にもう一度イラクに行きました。

その少し前の3月に、イラクで高遠菜穂子さんら日本人3人が現地の武装勢力に拘束される事件があって。その時、サマーワには日本のマスメディアの記者が沢山いたんです。でも人質事件が起きて、危険だということで、一斉に日本に引き揚げてしまって……。

それ以降は、自衛隊という日本の「実力部隊」がイラクにいながら、それを取材してチェックする日本のメディアがいない、という状態になってしまっていた。「これはちょっとまずいんじゃないか」と思い、僕は8月に行ったんです。

でも当時はもう、かなり治安が悪くなっていて。通訳で一緒にイラクを回ってくれる人が、「やっぱり危険だから今はバグダッドからサマーワに行かない方がいい」と言うので断念して、サマーワまでは行けなかったんです。

そういうこともあって、メディアがいなかった間に現地がどういう状況だったのかは、きちんと検証しなければいけないという思いを持っていました。

望月 そうだったんですね。

政府は「自衛隊のイラク派遣は大成功」と宣伝したが……

布施 自衛隊のイラク派遣が終わると政府は「自衛隊は1発も撃たず、1人も犠牲者を出さずに任務をやり遂げて、派遣は大成功だった」と言って、自衛隊の海外派遣をさらに拡大しようとしました。

当時は第一次安倍政権で、NATO(北大西洋条約機構)の理事会に初めて安倍首相が出席し、「これからは自衛隊を海外に出すことをためらわない」と宣言するなど意気込んでいて。

PKO以外の自衛隊の海外派遣を拡大する新法の制定や、当時NATOが軍事作戦を行っていたアフガニスタンへの自衛隊派遣の話も浮上して、「どんどん海外派遣を広げていきましょう」という流れになっていました。

それに対して、僕は違和感を持ったんです。ちゃんと検証したうえで「これからもっと広げていきましょう」と言うのならばまだしも、イラクで自衛隊に何が起こったかを国民が知らないまま次に進むのは違うんじゃないか、と。だから「しっかり検証しよう」というのが最初の出発点でした。

望月 なるほど。布施さんご自身が現地取材で体験した2003年、2004年のイラクでの危機感と、安倍さんがアピールしていることとの落差というか……。

布施 そうですね。現場がどういう状況だったのかを検証もせず、国会も、国民の中でも知らないまま次に進むというのは、やっぱり違うだろうと。