「大勝軒の名前を使っていい」師匠の申し出を断った理由

「山岸さんに怒られた記憶は一回もないですね。優しい人でした」

山岸さんは厳しく叱りつけるタイプではなかった。違うところがあれば指摘するものの、基本的には温かく見守る人だった。

麺打ちはもともと山岸さん自身がやっていたが、やがて、先輩たちが山岸さんのサポートに入るようになった。そして、しばらくすると後藤さんも麺打ちの現場に入れるようになった。山岸さんが実際に麺を打ち、その技術が弟子たちへと受け継がれていく。後藤さんにとって、それは大勝軒の味を継承するための貴重な経験だった。

「麺屋ごとう」の製麺機
「麺屋ごとう」の製麺機

大勝軒で修業した後は、チェーン店の「福しん」でも短期間働いた。個人店とチェーン店の両方を経験し、店の運営やオペレーションについて学んでおきたいと考えたからだ。その後、友人の店の立ち上げを手伝いながら物件を探し、独立への準備を進めた。

独立を伝えた際、山岸さんからは「大勝軒」の名前を使っていいと言われたという。しかし、後藤さんはその看板を掲げることには慎重だった。

「同じスープで同じ麺を使っても、マスターが作ったものでなければ、お客さんは大勝軒と同じだとは思わないじゃないですか」

師匠への敬意があったからこそ、看板に頼るのではなく、自分の店として勝負する道を選んだ。

1998年、兄とともに池袋西口で「麺屋ごとう」を創業した。開業当初から順調だったわけではない。最初の半年ほどは客足が伸びず、後藤さん自身、当時のラーメンはまだ美味しく作れていなかったと振り返る。

そこで見直したのが、スープの扱い方だった。当時のラーメン店では、大きな寸胴でスープを炊き続けて、営業時間中に使っていくことが多かった。しかし、長時間にわたって同じスープを使えば、時間帯によって味が変化してしまう。

そこで後藤さんは、スープを一度濾してから、必要な分を温めて使う方法に変更した。

「11時から夜の9時まで営業していたら、最初と最後では全然違う味になってしまう。だったら、最初に作ったスープを濾して、その都度温めた方が味はブレないんじゃないかと思ったんです」

洋食の厨房で培った経験も生きたのだろう。スープの状態を安定させる工夫を重ねた結果、少しずつ客が増えていった。