戦争と転勤で引っ越しばかりの少女時代
81歳で業界デビューして以来、マイペースに作品に出演し続ける小笠原裕子さん。その異色すぎる人生はフランス国営放送がドキュメンタリー特集を組んでしまうほどだ。
人生の夕暮れにたどり着いた(迷い込んだ?)舞台を存分に楽しむ小笠原さんに、根掘り葉掘り聞いてみた。
――小笠原さんのご両親はどんな方だったんですか?
小笠原裕子(以下、同) 父は山形県鶴岡市出身で、早稲田大学卒業後に東京の保険会社で営業していたころに母と出会ったのね。
母の実家は生糸の大きな工場を持っているような裕福な家庭だったから、最初は家柄の関係で結婚を猛反対されてたみたい。それで、駆け落ちして生まれたのが私。ドラマティックでしょ?
――戦前なのにすごいですね。
うちは私を含めて5人姉弟。父親も転勤で山形県の山形市や鶴岡市なんかに行ったりしてる忙しいなか、しかも戦争中なのに5人も生んでるんだから、よほど好きだったんだろうね。
――戦争の記憶はありますか?
小学校2年のころに戦禍がひどくなって、山形市から4里歩いた農家に疎開したけど、そこではお風呂の代わりに牛も一緒に水浴びしてるような川に毎日入るような生活。
だからシラミじゃ、ノミじゃと大変だったの。みんな校庭に並ばされてDDT(殺虫剤)を頭からかけられて。
その次に父の親戚が多い鶴岡に行って。そこで天皇陛下の玉音放送を聞いたわ。その後も父の転勤のたびに静岡だ千葉だと引っ越したわ。