ロシア側は「あなたの住んでいるマンションを知っている」と脅すような言葉

三等海佐は逮捕されたが、武官は外交官としての免責を持ち、出頭要請に応じず帰国した。

1997年に摘発された事件では、日本人翻訳家がSVR機関員とみられる通商代表部員から工作を受け、約7年間にわたりハイテク技術関係の情報収集に協力していた。

2008年には、元内閣事務官がロシア情報機関員とみられる元大使館二等書記官に、内閣情報調査室の秘密を漏らし、現金10万円を受け取った事件が摘発された。

2020年には、大手通信関連会社の元社員が、在日ロシア通商代表部の代表代理に唆され、会社の営業秘密を不正に持ち出した。最初は公開情報の提供だったが、接待を重ねるうちに機密情報を要求された。

元社員が断ろうとすると、ロシア側は「あなたの住んでいるマンションを知っている」と脅すような言葉をかけたという。

そして2026年1月、警視庁公安部は、工作機械関連会社の元社員と在日ロシア通商代表部の元職員を、不正競争防止法違反の疑いで書類送検した。

元社員は2024年11月と2025年2月、新商品開発に関する営業秘密を元職員へ伝えた疑いが持たれている。ロシア側の元職員はすでに帰国していた。接触時には自分をウクライナ人と偽り、路上で道を尋ねるふりをして近づいたとも報じられている。

標的は同じだ。日本の技術である

ここに「日本人協力者の影」がある。

ロシアの工作員は、最初から秘密を盗めと要求しない。偶然の出会いを装い、会食を重ね、公開情報に謝礼を払う。相手が金銭と人間関係に慣れたところで、要求する情報の機密性を少しずつ高める。過去の事件では、この方法が繰り返されてきた。

ロシアの情報機関には役割分担がある。SVRは主に政治、経済、科学技術を扱い、GRUは軍事・防衛分野を中心に活動する。ただし、軍事転用できる民間技術をめぐっては、活動領域が重なる。標的は同じだ。日本の技術である。

半導体、センサー、通信装置、工作機械、小型モーター…普通の民間製品に使われる一方、ミサイルやドローンにも転用できる、日本のデュアルユース技術が狙われた
半導体、センサー、通信装置、工作機械、小型モーター…普通の民間製品に使われる一方、ミサイルやドローンにも転用できる、日本のデュアルユース技術が狙われた

日本には、外国のために情報を集める行為を一括して処罰する一般的なスパイ罪がない。捜査当局は自衛隊法、国家公務員法、不正競争防止法、窃盗罪、外為法などを使うしかない。工作員が外交官なら、免責によって本人を刑事裁判にかけることが難しい場合もある。

日本政府も輸出規制や企業への注意喚起を進めている。それでも、日本製部品がロシア兵器から見つかり、日本人が情報提供者として取り込まれる事件が繰り返されている。

東京からロシアの兵器工場へ向かう流れは、続いていく

警視庁から徒歩10分。西側情報機関の評価が正しければ、GRUの将校とされる人物は警察の目と鼻の先で、航空会社社員の日常を演じながら、日本企業や物流業者との関係を築いていた。

問題は1人の工作員ではない。正規の企業活動、国際物流、民生品の流通、外交官の身分、そして日本人協力者を組み合わせ、兵器生産に必要な技術を調達する仕組みそのものだ。

フィルチェンコフが去っても、別の人間が送り込まれる。日本が技術流出を止められない限り、東京からロシアの兵器工場へ向かう流れは、続いていく。

文/小倉健一 写真/shutterstock