他人と一緒にいる際の緊張をどう緩和するか?
亀石 大阪だったら、まだ大丈夫かもしれませんね。
朱 そうそう。大阪の酒場とか。それが、私が大阪のことを好きな理由かもしれません。
亀石 そうそう。大阪だったらまだ許してもらえそうな気がします。東京だと、たぶんちょっと無理(苦笑)。
朱 大阪の外ではできないようなよさもありますね。それゆえの危うさも、もちろんあるかもしれないですが。そのバランスをうまく乗りこなせたりするのも、大阪の大事な良さかなという気がしますし。
亀石 大阪はいろんな人を取りあえず受け入れてくれる器の大きさみたいな、優しさとか、温かさとかあると思いますね。
朱 なるほど。手前みそかもしれないですけど、亀石さんといい、僕といい、今、大阪に根を張って長い人が、最近東京に呼ばれがちだったりするのも、東京だとそういう閉塞感があるからかもしれないですね。
亀石 東京に行くと、閉塞感感じません?
朱 感じます。できれば早く帰りたいと思います(苦笑)。
亀石 まず、笑いが全然ないんですよね。たとえば会議とか打合せが1時間あっても、その間1度も笑いが起きないときがあるんです。大阪だったら絶対ないと思う。
朱 あと、東京はやっぱり「人を役割で見がち」みたいな部分もあって。
それこそ大阪から来たと言ったら、「面白いキャラ」枠をあてがわれたり、「おもろいこと言うんでしょ」なんて言われたり。それは結構困るし、腹立ちますよね(笑)。
でも大阪の面白って別に、個人が単体で面白いというよりも、コミュニケーションの中でチームで実現する面白さであって、ツッコミ役で周囲を光らせる人とか、いろんな人がいて、みんなで場を回して、なるべくその場の緊張感を緩和するという文化だと思うんですよね。そして、その感じがたぶん今、大事なのかもしれません。
亀石 そうですね、本当に。
朱 良し悪しあるんですけどね。ローティは「会話が大事」と言っていますが、ここでの「会話」って英語でconversation「カンバセーション」で、これは「対話」とかとは使い分けているんです。
対話は英語でdialogue「ダイアローグ」ですけど、このlogueって古代ギリシャ語のlogos「ロゴス」ですから、「論理」とか「国語」とか「言葉」です。「言葉を介した営み」がダイアローグだとすると、カンバセーションは、ラテン語のconversari「コンベルサーリ」が語源なんですけど、「一緒にいる」くらいの意味しかないんです。だから、「言葉で説得する」とか「意思疎通する」とかよりもっと手前、「単に一緒にいる」ということ。
それをどうするかが大事だ、とローティは言っているんですね。
亀石 そうなんですか。へえ。
朱 やっぱり誰かと一緒にいるって、緊張感がありますよね。肉体を持った人が2人もいたら、ちょっとお互いに緊張感があるわけで。「この緊張をどう緩和するのか」という流儀とか作法が、カンバセーションの一つ大事なポイントなんだ、とローティは言っているんです。大阪の人はそれがうまい気がするんですよね。
亀石 だって、関西人って、たとえば3人いても3人全員が違う話をしていたりすることがあるじゃないですか。全員それぞれ好きなこと言っていて。一見、会話が成り立っているように見えるけど、実はみんな全然違うことを言ってるみたいな(笑)。
朱 だから、良し悪しもあるんですけど、関西の人のほうが、ちょっとボディータッチがうまかったりとか、ツッコミとかも気負わずにできたりとか、緊張を緩和する技術自体があるような気もします。
亀石 すごいですよね、会話の技術というか。
朱 でも、今こそ、そういうものが求められる時代なのかな、という気がします。私は「身体性」とかもすごく大事だと思うので。
そういうのはやっぱり、亀石さんは刑事弁護人として実際にリアルにやられていますよね。当たり前ですけど、刑事弁護人って、リモートでなんか、できないわけじゃないですか。
亀石 そうですね。
朱 実際に接見に行って、足を、体を運んで、顔を合わせて、そこで相手と目を合わせながらやる、ということの経験値が、たぶん今の亀石さんを作っていらっしゃる面もあるはずで。それはカンバセーション、会話の技法なんだなと、今改めて思わされました。
亀石 そうですね。私は本当にもう大阪の人から「おもんないねん」と言われないように心がけています。それを言われるのが一番怖いです(笑)。
朱 まあ、でも、「おもんないねん」と言われる役みたいなのもありますからね。そう言ってもらえるだけで、既に成り立っていて。たぶん「本当におもんない人」は、直接そんなことも言われずに、いなくなった後で「あいつ、おもんなかったなあ」と言われるパターンかと(笑)。
亀石 それが、一番つらいです(苦笑)。
構成/稲垣收 写真/CALL4、集英社新書編集部














