高市首相の当事者性
西村 高市首相についてよく言われることですが、自民党総裁選では自己負担上限額の引き上げは反対だと言っていたのに、首相になると簡単に掌を返すというか、平気で立ち位置を変えるものだ、とある意味で感心しました。高額療養費問題によらず、なにごとに対しても言えることかもしれませんが。
畠山 いや、びっくりしますよね。あんなに見栄を切っていたことをこんなに簡単に翻意してしまうのか、と。例えば靖国参拝のことだってそうですよね。ずっと高市さんを応援してきた人たちは、春の例大祭参拝を見送ったことに対して「話が違うじゃないですか」「高市さん、それはさすがにないでしょ」と指摘してあげなきゃいけないのに、ツッコミが足りないと僕は思いますね。
だって、たとえば売り場で商品に「靖国に参拝します」と書いてある商品を手に取って開けてみたら中身がなかった、みたいな話じゃないですか。靖国に参拝しないことにしたのなら、なぜ違う行動になったのかという説明は最低限するべきですよ。納得してもらえないにしても、政治家として言ったことの責任は取るべきだし、それを取らないまま次に、また別のことと進んでいくのを支援者はもちろん、支援していない人も許しちゃいけない。
靖国参拝や高額療養費の問題に限らず、高市さんは全てにおいて説明することを避けている、とすごく思います。
西村 なし崩しにしてうやむやにして、次の問題次の問題、と進んでいく。
畠山 ほんとに週替わり日替わりでどんどん問題が出てくる首相で、問題発言がどんどん積み重なってスルーされて、また新しい問題が出て……ということが続いて半年経ってここまで来ちゃった恐ろしさを感じますね。
なんとなく「もう終わったことだ」「まだ言うのか」と言われるので、しつこく言い続けなければいけないと思います。
西村 今回のテーマは高額療養費だから、そこに引きつけて言うと、総裁選では高額療養費の引き上げに反対と言っていたのが、組閣後の11月臨時国会ではすごく曖昧なもの言いになっていました。でも、その曖昧なもの言いの一方で、「自分も難病当事者なので、辛さや苦しみはよくわかっているつもりです」とも言っていたのですが、そのわかっている気持ちはいったいどうなったんだ、ということがまったくわからないんですよね。
畠山 当事者だとおっしゃっているのにどうしてわかってくれないんだろう、というか、そもそも総裁選の時に反対だと言っていたじゃないか、それがそんな簡単に吹き飛んでしまうのか、ということがすごく不思議ですよね。
西村 高市首相は関節リウマチで人工関節に置換していることも公表していますが、議員活動の中で人工関節の手術をするのは大変なことだったと思うんですよ。だから、ものすごい努力家であることは間違いない。ならば、比喩ではなく疾患当事者が感じている文字どおりの痛みを理解できるはずなのに、なぜか理解しようとしていないんですよね。
その話で思い出したんですが、安倍晋三さんも自己免疫疾患の潰瘍性大腸炎に罹患していました。安倍さんの政治的信条などは自分と相容れないところが多々あったんですが、政権二期目におそらく生物学的製剤を投与しながら総理の職を続けていることには非常に敬意を持って僕は見ていたんです。生物学的製剤を投与しながら仕事をする大変さは、身をもって理解できますから。
高市さんも病気を公表していらっしゃるけれども、そうすることで結果的に、高市さんが望むと望まざるとにかかわらず、同じような病気を抱える人々のロールモデル的役割を背負っているんです。この病気でこんなに大変なのに、責任が重い激務の仕事をできるんだ、という事実は、同じ疾患を持つ人にとって大きな希望になるわけですから。
自分がロールモデルであることを意識しろとまでは言いませんが、せめて自分の病気にはもう少し真剣に向き合ってほしいと思うんですよ。というのも、彼女は喫煙者だと言われているじゃないですか。この病気にとって、喫煙は最大のリスク要因のひとつです。一般論として言えば、人には誰しも愚行権があるけれども、一国の首相である以上、自己免疫疾患当事者の喫煙は愚行権の範囲を超えた無責任な行為だと思います。だからそういう話を聞くと、同じ疾患を持つ身として非常に釈然としないんですよね。
畠山 具体的な疾患名を出してしまったがゆえに、その疾患を持っている人々の代表みたいに世の中に見られることへの想像力が足りなかったんじゃないか。高市さんが選挙期間中にNHKの『日曜討論』を欠席する理由として関節リウマチを出したことに僕はちょっと違和感を覚えました。病名を出せば誰もツッコミを入れられないだろうと考えて番組に出ない言い訳に使ったとすれば、それは良くないことだし、当事者である他のリウマチ患者の方々にとっても良くないことだろうと感じました。
西村 でも一般論として言うと、本当に変な時に変な具合になるんですよ。外から見ても痛みはわからないので理解されにくいし、それがこの病気のしんどいところでもあるんですけれども。だから、彼女が『日曜討論』をドタキャンしたことを詐病だとか仮病だと言う声があったけれども、そこまで言うのは酷かなと思います。
ただ、番組に出なかった理由はともかくとして、その後に岐阜へ応援演説に行っているわけですよね。その時間的な整合性が釈然としないということは、確かに思わないでもない。また、選挙期間中だし与党の党首として責任が重いこともわかるけれども、午前中は休養したのであれば、むしろその日は終日静養していて精密検査もするべきだったのではないかとも思いました。結局、この一件に関する明解な説明はなく、他の様々な事柄と同様になし崩しになったままですよね。
で、それはそれとして、この病気の理解があまりないことも、この騒動のときにはちょっと感じたんですよ。これは特に批判する意図で言うわけではないんですが、あの時、やはた愛さんと畠山さんが握手をしてコミカルに顔をしかめた写真がSNS上で拡散されたじゃないですか。それを見た時に、「この病気のことはなかなか理解されないのだな」ということは正直ちょっと思いました。
畠山 僕の行動に対する批判は真っ当だと思います。たしかに私には圧倒的に想像力や配慮が足りなかった。そこは大いに反省しています。僕はあの写真を自分では撮っていないけれど、撮った後、誤解を生じさせるだろうとも思ったので、自分から発信することはしませんでした。病気を揶揄する意図もまったくありませんでした。候補者が握手をして手を痛めることは高市さん以外にも過去にあって、たとえば田中真紀子さんが包帯で手をぐるぐる巻きにしたという出来事もありました。僕自身も手がパンパンに腫れている候補者と握手した経験もあります。そういう意味で「強く握ってはいけない」という写真ではあったんです。
ただ、あの写真が出た時に一切言い訳をしなかったのは、揶揄していると解釈される可能性があって、自分の意図とは違うけれどもそういう風に見られてしまうとしたら、それは自分の発信ではないけれども受け入れなければいけないと思いました。厳しいお叱りの言葉もすべて読ませていただきました。
西村 あれは為政者を皮肉る行為で、病気であること自体をからかったり揶揄したりするつもりではなかったことは、自分としては理解しているつもりなんですよ。それは僕が畠山さんを昔から知っているからかもしれないけど。
畠山 でも、いろんな方から指摘を受けて、自分は病気に対する理解がまったくなかったことは痛感しました。医療関係者の方からも直接連絡をもらって、お叱りも受けました。自分の意図とは違った形で流通した写真とはいえ、あのような形で撮ったのは良くなかったと、本当に心から思います。
西村 病気をからかうつもりではなかったことはわかるんですよ。ただ、病気に対する理解を求めるのは、誰を責めるということではなく、なかなか難しいものだなと改めてつくづく思った、という話です。














