「二重外交」の遺産とその限界

第二次安倍政権の外交は2ルートが存在した。従来の外務官僚が相手国の首脳との面談日時やスケジュールを準備するケースとは別に、経産省出身の今井尚哉政務秘書官や国交省出身の和泉洋人首相補佐官たち官邸官僚によるルートがあったといわれる。

前者の外務省ルートでは、第二次安倍政権で新設された官邸内の国家安全保障会議(NSC)とその事務局である国家安全保障局(NSS)の初代局長に就いた谷内正太郎が中心となり、古巣の外務省とともに段取りしてきた。

だが、この二階訪中では谷内の知らないあいだに、対中親書が書き換えられていたのだから、外務省サイドが怒るのは無理もなかった。谷内は今井に直談判したが、今井は平然と言ってのけた。

「総理の意向です」

憤った谷内がNSC局長の辞任を漏らし、辞表を書いたと伝えられるが、当時の今井にこのときの状況を聞くと否定はしなかった。

経産省出身の今井自身は、小泉純一郎政権で経産大臣を務めた二階とも近く、対中外交に関するバランス感覚があるとされ、「総理の分身」と異名をとった彼がこの出来事によって政策に自信を深めたのは間違いない。

一方、今井を頼って今の政権をつくった高市は、対中外交でその助言を受け付けなかった。というより、嫌中派の保守層を岩盤支持層にして高い人気を誇る当人にとって、中国にすり寄る外交はタブーなのかもしれない。

昨今、安倍と高市の政権は似て非なるものだという指摘をしばしば耳にするようになった。高市政権に足りないところは、信頼する政策ブレーンが見あたらない点であろう。今井との亀裂は、まさにそこを象徴しているように感じる。

ただし、官邸官僚たちが振り付けてきた第二次安倍政権の政策がうまくいっていたかといえば、それも甚だ疑わしい。外交に関して言えば、安倍は米国や中国だけでなく、対露外交にも力を入れてきた。「シンゾ―」「ウラジミール」と呼び合う姿もまた、幾度となく見てきた。

あたかもウラジミール・プーチンが日本に北方領土を返還してくるかのように報じるマスコミもあった。が、むろん実現してない。

それでも第二次安倍政権が選挙に連戦連勝し、7年8カ月もの長期政権を築けたのはなぜか。リーマンショックや東日本大震災に見舞われて右往左往した旧民主党政権のあとだったという運が働いた側面があるに違いない。

選挙のたびに首相が持ち出した「日本をダメにした悪夢のような民主党政権に戻すのか」というキャッチフレーズが有権者にウケた面も否めない。また超低金利を続けたアベノミクスなる放漫財政により、企業業績があがって見せかけの国内総生産が膨らんだ。

しかし、今はむしろアベノミクスの失敗を指摘する声が多い。日本に格差が広がり、国民にアベノミクスのツケがまわって二進も三進もいかなくなっている。

旧安倍派の政治とカネのあと処理を担ったはずの石破茂もまた、打つ手を見いだせずに立ち往生した。そんな薄気味の悪く先行き不安な日本社会に登場したのが、高市早苗といえる。

高市人気はネトウヨに支えられるといわれる。が、選挙の分析を見る限り、60代以上の高齢者層も票を投じている。その人気の根っこは日本初の女性宰相という漠然とした期待であり、保守派の日本人の多くが抱く嫌中感情ではないだろうか。

わけても高市が内閣官房参与に迎え入れた今井の助言を聞き入れられないのは、中国に対する単純な強硬姿勢を崩したときの恐れを抱いているからではないだろうか。

対米外交では安倍がトランプにすり寄ったように、高市もそれに倣った。だが、高市には複雑な利害関係の絡む世界状況が念頭にあるわけでもないようだ。

ある元外交官が指摘した。

「トランプ大統領が一次政権で包括的共同作業計画(JCPOA)というイランとの核合意の枠組みから離脱し、ペルシャ湾に緊張感が高まった2018年6月、安倍総理が(イランの最高指導者)ハメネイと会談し、両国の仲立ちをしたと絶賛されています。

もっともあのときは、トランプの了解を得ていたというか、米国サイドから頼まれたからに過ぎない。第一次トランプ政権では、ユダヤ系のトランプの娘婿であるクシュナーが対イランの窓口として機能していて、ハメネイとの関係も良好だったので、安倍総理に花を持たせたのだと思います。

しかし、さしたる成果はありません。ハメネイ亡き今の状況では、クシュナーがイランの交渉役を果たせなくなり、高市総理は何もしていません」

安倍のイラン訪問も当人の手柄というより、米国の事情がそうさせただけであろう。ここへ来て、パキスタンを仲介役とした米国とイランの交渉役に副大統領のジェームズ・デイヴィッド・バンスが登場しているのも、ハメネイ亡きあとの状況の変化があるからだ。

トランプはイスラエル首相のネタニアフに唆され、イランとの本格的な戦争に踏み切った。そこでは、もとより日本の首相である高市などは蚊帳の外である。

冒頭で触れた情報誌『選択』によれば、高市は先の日米会談の手土産として、ホルムズ海峡の自衛隊派遣を用意しようとしていたという。

そこに待ったをかけたのが今井であり、「何を考えているんだ」と恫喝され、派遣を引っ込めたと報じられている。

高市自身はこの報道について国会で問い質されてすぐさま否定し、今井も週刊文春に答える形で高市に歩調を合わせている。

だが、高市に近い自民党議員に聞くと、二人のコメントは鵜呑みにはできないという。

「今井さんが官邸の総理執務室に乗り込んでやり合ったとなれば、情報源は自ずとわかる。今井さんと今井さんが首相の政務秘書官に推薦した飯田(祐二)くらいしかその場に居合わせていないことになります。だから当事者として否定するのは当然でしょう。

あるいは総理執務室の出来事ではなかった可能性も指摘されています。いずれにせよ高市さんと今井さんのあいだに強烈な隙間風が吹いているのは間違いありません。こと外交でいえば、外務省も高市さんに気遣い、動けていないのが実情です」