このズレこそが、いまのボラティリティの正体

市場は単純な物語で動く。しかし現実は複雑な力学で動く。このズレこそが、いまのボラティリティの正体である。

一方で、為替市場は株式市場ほど甘くない。株式市場が「これ以上悪くならないかもしれない」という期待で持ち上がる一方、為替市場は金利差と資金フローとエネルギー輸入という逃げ場のない現実を映す。だから円安は止まらない。この株価と為替の乖離こそが、いまの相場の本質である。

日本に目を向ければ、資源依存国家である以上、外で起きた戦争はそのまま国内の物価に跳ね返る。しかも円安がそれを増幅する。本来必要なのは、都合の悪い現実を正面から語る政治である。しかし現実は逆ではないか。

トランプ大統領にも、高市総理にも、周囲には経済のプロがいるはずだ。だが重要なのは人数ではない。異なる意見を言える人間が近くにいるかどうかである。強い政権ほどイエスマンに囲まれる。歴史が繰り返してきた、ごくありふれた権力の病だ。

実際、円安や利上げに関する発言が封じられる構図は象徴的である。都合の悪い現実は語られない。語れば空気を乱す。こうして政策の幅は狭まり、残るのは賛成の声ばかりになる。だが、相場も政治も、本当に危ないのは反対意見が消えたときだ。

補助金も減税も、為替で打ち消される。政策が効かなくなる

その意味で象徴的なのが、松本文部科学大臣の不倫報道である。これは単なるスキャンダルではない。倫理の問題であり、しかも議員会館という公的空間での出来事である以上、私的な逸脱では済まされない。

不倫報道で謝罪した松本文科相(松本氏HPより)
不倫報道で謝罪した松本文科相(松本氏HPより)

文部科学大臣とは、子どもたちに何を教え、どのような規範を示すか、その方向を担う立場である。そのトップに疑義が生じながら更迭されない。この事実は重い。何が正しいのかという基準そのものを曖昧にする。

国民はこう受け取る。倫理ではなく損得で動いているのだ、と。

供給も同じだ。「何月分まである」という話に意味はない。本質は価格である。量はあっても安くはない。生活者にとって重要なのは、届くかどうかではなく、いくらで届くかだ。

そして為替に戻る。160円という数字が問題なのではない。何をしても円安が止まらなくなることが問題なのだ。補助金も減税も、為替で打ち消される。政策が効かなくなる状態である。

低金利と円安に支えられてきた株式市場も、その前提は揺らぎ始めている。日本株は円安込みの投資対象であった。