現役FBI捜査員の懐に入った話
1988年4月12日、ニュージャージー州ターンパイクのサービスエリアで、州警察官が挙動不審の人物を発見し、逮捕した。
その人物は、日本赤軍のテロリスト、菊村憂であった。果せるかな、警察官の勘は当たっていた。菊村はパイプ爆弾3本を所有していたのである。菊村の捜査は州をまたがっているので、FBIが担当することになった。
当時、新潮社が発行していた写真週刊誌「FOCUS」は部数150万部で、毎週のようにいろいろなテーマで取材依頼が来た。隠し撮りをしないといけないこともあった。1カ月張り込みをしないといけないこともあった。私からもネタを頻繁に提供していた。
菊村については、罪状認否の当日撮影すること以外に、彼の弁護人を引き受けた辣腕弁護士のウィリアム・カンスラーへのインタビューもしなければならない。そのときにコネクションができたのがFBI捜査員であった。
撮影を無事終えた瞬間、この事件を取材していたアメリカ人女性記者から突然、FBIが捜査に協力できる日本人ジャーナリストを探していると話しかけられたのである。
私はFBI捜査官と人脈ができる絶好の機会であると思った。まさに次の表現がぴったり当てはまるチャンスだ。
Don’t miss the moment! Seize the moment!
(絶好の機会を逃さず、行動せよ!)
“Seize the moment!” は、あのとき話しかけるべきだった、と後悔しないように「今という瞬間を逃さず、思い切って行動する」というポジティブで能動的な意味合いがある表現である。
さっそくマンハッタンのFBI支部近くの、だだっ広いダイナー(簡易食堂)で会った。すっかり気に入られたのか、毎週のようにそのダイナーの決まったテーブルで午前7時に会った。
捜査官の英語は機関銃のように早口の英語で、スラングも頻繁に出てくる。そういう相手には、ゆっくり話してください、というようなお願いは通用しない。
私自身、アメリカには最初学生としてきたので、スラングはたくさん身についていた。もし私が相手と同じ、くだけた英語を話せなかったら、1回目の会合で終わっていたかもしれない。
2回目の密会で、その捜査官から菊村と関係のある可能性がある日本人の名前と住所のリストを渡され、各人を隠し撮りしてほしいと言われた。もちろん謝礼が発生する。
隠し撮りは「FOCUS」の取材で手慣れていたので、すぐに引き受けた。ショックを受けたのは、そのリストの中に私の知人がいたことである。その知人を隠し撮りするときが最も緊張したのは今でも忘れられない。
与えられた人物の隠し撮りをすべて終え、写真を提供した。彼は私の仕事ぶりに感心し、それぞれの人物のバックグラウンド捜査にも協力した。それもうまくいった。これで私は彼の信用を勝ち取った。
外からは何もわからない建物(unmarked building)にあるFBI専用の訓練所で、射撃練習も毎週のように行った。
危険な取材のときは彼の同僚を2人つけて、FBIが使う防弾車を持ってきてくれた。防弾チョッキも貸してくれた。銃も持たせてくれた。
一通りの訓練を終えているので、自分の命に危険が及んだときは撃つしかない。そのための訓練だった。
その後彼とずっと関係が続いている。取材に行き詰まったとき、貴重なアドバイスをくれることもある。
そのFBI捜査官は「FBIの仕事とあなたの仕事(取材)の違いは、最終的に得た情報を公開するか、極秘にするかの違いで、調査手段や情報収集の方法は同じである」と口癖のように言っていた。FBIやCIAエージェントが使う手口(modus operandi)は取材でもすこぶる役立つのである。
あるときFBI捜査員にならないかと勧められたこともあったが、日本国籍を捨ててアメリカ国籍を取得しなければならないという条件があった。
私はあくまでも取材後情報を公表したいことを強調して、捜査の協力はいつでもするが、日本国籍を捨てたくないとやわらかく断った。













