《六本木は死んだ》は本当なのか? 現在の六本木の様子
六本木の衰退について以下のようなポストが先日話題になった。
≪昔の六本木、終電の交差点付近は帰る人ではなく繰り出す人で溢れ、クラブはどこも行列、一晩で何軒も梯子する人々が行き交い、道を歩けば必ず知人、泥酔サラリーマン、美男美女、白人モデル、芸能人と遭遇。今や人気も活気もなく、ロアビル、alife、museが閉店し、GSも移転したのが死の証拠。≫
ポストで言及されている《alife》、《muse》とは、90年代後半から六本木のクラブ文化を盛り上げた有名ナイトクラブの名だが、いずれも現在は閉店してしまっている。
また東京商工リサーチの調べによると、2025年1月から8月の「バー、キャバレー、ナイトクラブ」の倒産は58件となっており、これはリーマンショック直後並みの高水準。
インバウンド活況で盛り上がりを見せているとはいえ、夜の街の状況は確実に変わりつつあるようだ。
現在も六本木には大型クラブが数店舗存在してはいるが、六本木のクラブカルチャーの最盛期はいつごろだったのだろうか。菊地氏はこう推察する。
「六本木はもともと80年代のディスコブームの中で若者たちが集まる夜の街として栄えていました。最盛期には40店舗ほどディスコが存在し、その後ディスコカルチャーがクラブカルチャーへと変化していきます。
常に“夜の街”として盛り上がりを見せていた六本木ですが、今回のポストで指摘されているような“クラブカルチャーの最盛期”は、いつ頃になるかというと、2010年代前半から半ばの話だと推察します。
当時はクラブミュージックのジャンルの1つである“EDM”ブームの最盛期でもあり、『V2 TOKYO』などのいわゆる“チャラ箱”と呼ばれる、異性との出会い目的の男女が多く集うクラブが続々とオープンやリニューアルしていた時期とも重なります。
さらには、六本木が夜遊びの場として盛り上がったのは、ハロウィンブームからも説明できるでしょう」
ハロウィンといえば、2010年代後半に≪渋ハロ≫と呼ばれて盛り上がりを見せていた渋谷が印象深いが、2010年代前半から半ばにかけては、六本木でも仮装して夜の街を練り歩く人々で賑わっていた。
菊地氏はこのハロウィンの盛り上がりがナイトクラブの全盛期と関係していると言う。
「もともとハロウィンは海外の風習なので、日本にいる外国人たちを中心に盛り上がりを見せていました。それが外国人が多く出入りするクラブでのハロウィンイベントに繋がっていきます。
2010年代前半から半ばにかけて六本木のハロウィンが盛り上がっていたことは、同時にクラブの盛り上がりも示唆しているのです。
2020年のコロナ禍でクラブは衰退傾向になりますので、だいたい2010年代前半からコロナ禍前の2019年あたりまでが、六本木におけるクラブカルチャーの全盛期といえるのではないでしょうか」
クラブカルチャーが若干落ち着いた現在、六本木の街はどう変わっているのか。
「現在六本木には、深夜まで営業している完全個室型飲食店、時間貸しの個室サウナなど、少人数向けのプライベート空間型の業態が多く、クラブに限らず、ナイトライフ自体が多様化している印象です。
クラブはもちろん現在も六本木に存在していますが、クラブに行かずともマッチングアプリで異性と出会えたり、プライベート空間で少人数で楽しむ遊び方もスタンダードになったりと、最盛期とは異なる形でナイトライフが発展していると考えることができます」
また、六本木にプライベート空間の業態が増えた経緯として菊地氏は、男性が主催し、女性に報酬を支払って参加してもらう飲み会“ギャラ飲み”の影響も指摘する。少人数制のギャラ飲みの場として、こうした空間が人気になっているという。













