価格転嫁や為替差益の余地がない中小企業
次に痛むのは中小企業である。大企業には価格転嫁や為替差益の余地があるが、中小はそうはいかない。輸入コストをかぶり、価格転嫁もできず、資金コストの上昇に直面する。低金利と円安に最適化された構造の裏側で、現場は静かに圧迫されている。
そして最後に責任を問われるのが政権である。とりわけ、円安を一定程度容認し、その果実を前提に政策運営を続けてきた高市政権は、この帰結から逃れることはできない。国民は金利や為替ではなく、生活で判断する。
円安容認、物価高容認、補助金でつなぎ、口先で市場をけん制する。その積み重ねの先にあるのは、市場に価格決定を委ね、政治が不満だけを引き受ける構図である。数字が持ちこたえていても、体感が崩れれば支持は離れる。
ここで忘れてはならないのが、相場の本質である。学者やエコノミストたちが声を揃えて、少子化で経済成長が止まった日本の円は理論的に高くなる道理がないと言い切るようになったとき、その瞬間こそが転換点になる。
誰もが同じ方向を向いたとき、価格はすでにそれを織り込み尽くしている。あとは前提がわずかに崩れるだけで、流れは反転する。
今回の円安も同じだ。すべての論理が円安を正当化する。しかし、その“正しさ”が極まったとき、相場は逆に動く。市場は常に少数派が勝利する。誰もが「もう二度と円高にはならないだろう」と確信した瞬間に、円高への反転は静かに始まる。
IMFの勧告は逆回転が始まる前の最後の警告
すでに長期金利は2.41%に達し、為替は2%から2.5%という金利水準を要求している。この乖離が広がるほど、調整は荒くなる。政策が小さくでも動けば、それはまだ制御された正常化で済む。
しかし動かなければ、為替と金利が同時に巻き戻る形で逆回転が起きる。調整は理屈ではなく、価格で起きる。それが相場だ。
IMFの勧告は、その逆回転が始まる前の最後の警告に近い。利上げしても痛みは伴う。だが、しない痛みは遅れて、より大きく、より深く効いてくる。真っ先に痛むのは家計であり、次に中小企業であり、最後に政治がその代償を引き受ける。
いま問われているのは、利上げの是非ではない。誰がその痛みを引き受け、どの順番で清算するのか。その覚悟だけである。
文/木戸次郎













