据え置きは「市場に引き締めを委ねるという、最も荒い選択」

前者であれば調整は分散される。小さな利上げを積み重ね、為替も徐々に落ち着き、負担は時間をかけて吸収される。しかし後者の場合は違う。日銀が動かない、あるいは遅れれば、為替はさらに円安へ振れ、長期金利は一段と上昇し、結果として“2%の世界”が市場主導で先に到来する。

そこに政策が追随する形になれば、調整は一気に表面化する。水準は同じでも、中身はまったく別物になる。前者は正常化、後者は逆回転である。

そして現状は、すでに後者に限りなく近かった。あるいは、すでに後者だった。

では、ここで据え置きを選べばどうなるか。一見すれば、中東情勢や原油高を理由に慎重姿勢を保つことは合理的に見える。しかし市場はそうは受け取らない。「円安を止める意思がない」「政策は政治に縛られている」と解釈する。

その瞬間、為替はもう一段円安へ走り、輸入インフレは加速し、長期金利はさらに押し上げられる。つまり据え置きとは何もしないことではない。市場に引き締めを委ねるという、最も荒い選択である。

この構図の中で、誰が立ち行かなくなるのか。

「投資は自己責任」と片づけられるNISA貧乏

最初に削られるのは家計である。円安で輸入物価が上がり、エネルギーが上がり、物流が上がる。最後は日々の生活費に跳ね返る。今回の物価上昇は賃金で吸収できる範囲を超えつつある。

そこに原油高が重なれば、体感インフレは一気に跳ね上がる。消費税を数%動かしたところで意味はない。名目の減税より実質の物価上昇のほうが速ければ、「減税したのに苦しい」という矛盾が生まれる。

しかも、その苦しい生活費を削ってまで、政府の旗振りに背中を押されるようにNISAへ積み立てている人が少なくない。上がっているうちは誰も文句を言わない。だが、ひとたび相場が逆回転し、評価損が膨らみ始めたとき、自己責任という言葉は急に冷たくなる。

円安が生む「NISA貧乏」が急増か…IMFが日銀に突きつけた“最後の警告”の中身〈金利据え置きは最悪の選択〉_2

紆余曲折あっても10年で見ろという正論は、その途中で生活が持ちこたえられる人間にしか通用しない。日々の生活費に追われながら、将来不安に怯え、それでも積立をやめられない。

その先で下落に耐え切れず、恐怖におののいて評価損を確定させるなら、それは資産形成ではない。政策に促されて始めたはずの制度が、最後には自己責任の一言で片づけられる。その残酷さまで含めて、いまの円安容認政策のツケなのである。