ハナからドーピングありきだった事情聴取

今回、取材に応じてくれた我那覇和樹
今回、取材に応じてくれた我那覇和樹

宜野湾高校卒業後、沖縄出身の3人目のJリーガーとしてプロ入り(川崎フロンターレ)したのが、27年前。順調にキャリアを重ね、2006年には当時の日本代表監督イビツァ・オシムに招集されて、アジアカップ予選でイエメン(1点)、そしてサウジアラビア(2点)相手にゴールを決めている。

この好結果に代表定着とヨーロッパ移籍が大いに期待されていた。私は、我那覇本人がその夢を語った沖縄タイムスの2007年元旦のインタビュー記事、「ガナ 伝説始動」を今でも忘れることができない。

ところが、未来が嘱望されたこの年に運命が暗転する。

好調だった我那覇は、4月21日にそれまでホーム無敗記録を続けていた浦和レッズ相手にゴールを決めて土をつけた。その2日後の4月23日。

風邪による体調不良に陥り、練習後にチームドクターから、点滴治療を受けたことをサンケイスポーツが「にんにく注射でパワー全開」と誤って報道、この記事を読んだJリーグ機構がドーピングだとマスコミに騒ぎ立ててしまった。

我那覇が施されたのは、にんにく注射ではなく正当な医療行為である水分補給の点滴であり、また厳密に言えばにんにく注射もWADA(世界アンチドーピング機構)規定によれば、ドーピングではなかった。

思いもよらないクレームがかけられたが、それでも我那覇はJリーグに呼ばれた事情聴取で事実を述べれば理解してもらえると考えていた。当然であろう、問題とされたサンスポの記事には何ひとつ真実はなかったのである。

しかし、事情聴取は聴取ではなかった。ハナからドーピングありきと決めつけた青木治人Jリーグドーピングコントロール委員長(当時)は我那覇の合理的な反論を一切認めずに、本人に6試合の出場停止処分、所属の川崎フロンターレに1000万円の制裁金を科したのである。

完全な冤罪であった。以降、こんな処分は許せないと、事態を重く見たJリーグの全チームドクターが立ち上がり、我那覇は無罪であり、これがいかに間違った裁定であるのかをエビデンスを基にアナウンスしていくが、青木委員長は一切、耳を貸さなかった。

世の中にはびこる冤罪事件は、無罪の立証が進んでも検察のメンツだけで再審を拒むケースがほとんどである。本件もまた同様であった。

思えば、足利事件(1990年)で潔白であったのに、被疑者にされた菅家利和さんが無期懲役の刑に貶められた根拠は当時、極めてずさんで精度の低いDNA鑑定の結果からであった。これは警察がこの鑑定方法に関する予算を確保したいがための見せしめ逮捕だったと言われている。