きっかけは自身の中学受験
──戦記さんが娘さんの学習にここまでの熱意を見せる理由は何なのでしょうか。
私が生まれた一族は、当時、大卒が誰もいないような家でした。たとえば正月に集まっても、受験の話が出たことなどありません。ところが私が小学生のとき、祖母が亡くなり、多少の遺産が入ったんです。親戚のなかに中学受験を志した子が出てきたこともあって、家のなかでも「うちもやってみようか」という空気があったと思います。
私は小6になりたての4月に江東区にある地元進学塾に入塾することになりました。入塾試験のとき、「満点じゃないか」と好感触だった算数は、まさかの100点満点中8点。非常に驚いたのを覚えています。
要するに、中学受験の土台が何もない状態で受けて、惨めな結果だったわけです。
──それでも千葉御三家の一角・市川学園に合格された。
確かに合格しました。けれども、私はいわゆる神童ではまったくなく、むしろ凡才です。だから睡眠不足も厭わずに勉強をしました。小学生の生活としてはひどいと思います。
夜中まで勉強して、眠くなったらすることは3つです。熱くて濃い緑茶を飲む、辛口ミントガムを噛む、そして包丁を研ぐ(笑)。包丁は、父親に「気持ち悪いから深夜に研ぐのはやめろ」と言われる始末でした。
1月に市川学園に合格したのちも、2月から始まる都内の早稲田、海城などの名門校を受けましたが、いずれも連敗しました。1月で燃え尽きてしまったんですね。
──結果をどう受け止めましたか。
中学受験が終わった時点で、自分なりに敗因分析をしました。まず圧倒的に時間が足りていませんよね。1989年当時、通常は受験暦の新小5(小学校では4年生の2月)から受験勉強をするのが普通で、新小4から開始したら早いと言われる時代でした。
私は新小6がスタートして2ヶ月ほどして入塾しています。一般的に2年から3年間を費やす中学受験の勉強を、10ヶ月ほどの勉強で戦わなければならなかったことになります。個々の学習内容にしても、今にして思えば非効率的なやり方をしている部分が多く見受けられました。
もう少し早く始めて、効率性を考えた学習方法で勝負に挑めたらよかったなあと感じたのを覚えています。とはいっても、両親含めて誰も勉強方法を知りませんから効率性なんて分かりようもないのですが。
──そのときの後悔が、娘さんの学習に傾ける情熱に繋がっている。
大いに関係あるでしょうね。子どもが生まれたら、自分のような無駄なことをしてほしくないなと感じたのは覚えていますから。それで、小学生の早い時期から学習習慣をつけることを行なってきました。













