退任発表からの「ラストダンス」
11年、落合中日のラストシーズンは〝飛ばないボール〞の極端な投高打低環境にあった。中日はチーム防御率2.46で堂々の1位。チーム打率.228、得点419はリーグ最下位ながらも、野手の指標はwRAA(同じ打席数をリーグの平均的な打者が打つ場合に比べてどれだけチームの得点を増やしたか、または減らしたか。
平均的な打者であればゼロとなり、優れた打者では正の値、平均より劣る打者では負の値となる)でリーグダントツの24・7を記録した。
さらに、チーム本塁打数は本塁打の出にくいナゴヤドームを本拠地としながらも平均を超え、wRC+(打者が創出した得点数を表す指標。数字が大きいほどチームに多くの得点をもたらしている打者と評価でき、リーグ全打者のwRC+合計はリーグの得点数合計に等しくなるという性格を持つ)は+106を記録。パークファクターを考慮した成績もプラスを記録している。
この年の状況からも投手力だけで優勝したチームとして例に挙げられることが多いように感じるが、ナゴヤドーム×統一球という環境で、二桁本塁打を4人も輩出し、本塁打数もリーグ平均を上回っている。
イメージとは異なり、むしろ打撃で稼いでいるチームだったのだ。落合が貫いたのは、繰り返しになるが守備配置・球場特性の活用、継投の最適化、役割の固定と徹底、1点を取り切るための野球だ。
シーズン序盤は首位ヤクルトに最大10ゲーム差をつけられる。主砲不在と打低のダブルパンチで苦しんだが、落合は動かなかった。
先発は吉見、チェン、投球回200回超えのネルソンを軸に、川井雄太、山内壮馬、ソトの〝谷間〞を計画的に織り込む。守備では大島の定着で外野の守備範囲と走力を底上げし、内野は最少失点ラインを崩さない組み合わせを優先。攻撃は和田の衰えを織り込み、出塁から進塁打を放ち、一発または長短打のミニマルな連鎖で1点を拾う方針に寄せた。
このシーズン、最大の強みは継投戦略にあった。髙橋の離脱でも方程式は崩さない。中継ぎエースの浅尾は回跨ぎも辞さず稼働し、最終回は岩瀬仁紀。浅尾は79試合登板で7勝2敗10S、防御率0.41、被本塁打0、100奪三振、WHIP0・83を記録し、中継ぎとして史上初のMVPとゴールデングラブ賞を射止めた。
岩瀬は通算300セーブに到達。小林正や鈴木義、河原らも役割を完遂し、投手陣全体の〝再現性〞を担保した。打つより守る、ではなく〝守れるから1点で勝てる〞チームだった。
流れを大きく変えたのは9月のナゴヤドームでのヤクルトとの4連戦直前。落合が退任を発表したのだ。これによりチームには結束が生まれた。
23日、井端の中前打で荒木は二塁から激走&ヘッドスライディングで生還。さらに翌日の谷繁のサヨナラタイムリーの際にも荒木はヘッドスライディングを見せた。落合は荒木にヘッドスライディング禁止令を出していたが、荒木は落合が辞めることを知った途端にこのプレーをした。
勢いづいたチームはこの4連戦で3勝1敗。続く10月は5連勝で首位を奪取、以後はナゴヤドームの特性を最大化して失点期待値を削り続けた。1対0や2対1で拾う試合が増え、月間防御率1点台になる瞬間も。
最終的に球団初の連覇を達成したその姿は、守備を軸に打撃の効率を足し、投手は配置とレバレッジ運用で補完するという落合中日の最終形だった。落合野球は〝野手(守備+走塁+打撃効率)に支えられ、投手は最適な配置で能力を最大化するシステム〞だったことがよくわかる。













