万博特需という「劇薬」に耐えられず“ショック死”

倒産連鎖の関西に「万博不況」の足音…維新が主張しつづけた「経済波及効果」はどこへ? 数字のマジックで「将来の市民にツケ回す」_3

この現象を読み解くカギは、労働力や資材の価格を高騰させた最大の要因が、市場の自然な変化ではなく、「万博という巨大で一過性の公共事業」であったという点にある。

行政が限られた期間に巨額の税金を投じて、ヒト・モノ・カネを強引に夢洲へと吸い上げた。その結果、地域の労働市場は人為的に大きく歪められたのである。

これまで地域に根差して地道に経営を続け、需要もしっかりとあったはずの中小企業が、万博特需が引き起こした異常なコスト高という「劇薬」に耐えられず、いわば“ショック死”させられてしまったのだ。

万博を成功させるためとして、吉村知事が自ら国に要望し、使った関連予算は13兆円(日経ビジネス、2024年5月22日)にのぼる。このお金を万博に使わずに、減税や競争力向上に使っていたら…。

こうした行政による有害な支出を経済学では「クラウディングアウト(民業圧迫)」と呼ぶ。巨大な公共事業が、民間の通常の経済活動を押し退けてしまう現象だ。

行政自らが引き起こした急激な環境変化による「強制退場」を、市場の健全な新陳代謝だと強弁するのは、あまりにも現場の苦しみを無視した暴論と言わざるを得ない。

そして今、私たちが最も警戒すべきなのは、かつて関西を重く覆った「アフター不況(万博不況)」の再来である。

関西経済は半世紀にわたって全国的な地位を相対的に「沈没」

1970年の大阪万博は、日本の高度経済成長を象徴する歴史的な大成功を収めた。しかし、その後に関西経済がどのような道を辿ったかを知る人は意外に少ない。

APIRが内閣府のデータを基に分析した客観的な資料によると、関西の域内総生産(GRP)シェアは、万博が開催されたまさに1970年度の「19.3%」が歴史的なピークだったのである。

その後、関西経済はどうなったか。万博特需という巨大なブーストが終了して剥落したことに加え、オイルショックという強烈な不景気が重なり、1989年にはシェアが「16.2%」にまで急落した。

さらにインフラ投資の遅れなども響き、2000年代以降は「15%台」という低い水準(大阪は7.6%)で長期低迷を続けている。つまり、1970年万博のあの熱狂を最後に、関西経済は半世紀にわたって全国的な地位を相対的に「沈没」させ続けてきたのだ。

現在の状況は、1970年以降の歴史と不気味なほどに似通っている。