国家主導での大規模なプロジェクト

 国も希少がんに力を入れています。いま「MASTER KEYプロジェクト」という非常に大きなプロジェクトが動いていますね。

下山 先ほど、希少がんでは新薬の承認にあたって、過去のデータとの比較で判断できるようになったと説明しました。しかし、希少がんに関してはデータ登録も十分に行われていないわけです。

データ登録は非常に手間がかかるので、ちゃんと人を雇う必要があります。しかし、希少がんのために人を雇うというのは現実的に難しいことでした。そのため国がお金を出して支援していこう、という動きが2017年に始まりました。これが「MASTER KEYプロジェクト」です。患者さんも参加し、がんの研究施設と製薬企業が新薬開発のために協力している国家プロジェクトです。

2017年よりスタートし注目を集める「MASTER KEYプロジェクト」(写真/Shutterstock)
2017年よりスタートし注目を集める「MASTER KEYプロジェクト」(写真/Shutterstock)
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私が所属する駒込病院も2024年から参加しています。このプロジェクトでは、たとえば今回の保雄さんの原発不明がんも、いつ診断され、どのような経過だったのかをデータ化させていただくわけです。そうすると新薬が出てきた時に、保雄さんの経過よりも成績が上回っていたら、それによって薬が承認されるようになります。

今までの利益中心だった治療開発ではできなかったことも可能になっています。ひとつ例を挙げると、最近では「リヒター症候群」のケースがあります。

 リヒター症候群とはどんなものでしょうか?

下山 白血病の一種である「慢性リンパ性白血病」という、もともと希少ながんがあります。そのがんに稀に変化が起きて、リヒター症候群と呼ばれる、慢性のがんが急性化した、進行が早く予後の悪いタイプが生まれることがあります。希少×希少という、滅多に診ることがない病気です。

これも希少がんのひとつで、駒込病院がMASTER KEYプロジェクトに参加したことで、製薬企業が注目して、新薬開発の臨床試験を実施できるようになったんです。ところが、この病気の患者さんは日本中で年間10人程度と言われています。この治験の情報をどうやって患者さんに届けるのかが課題になってきます。医者のネットワークだけでは困難です。

 この病気には抗がん剤は効くのでしょうか。

下山 ほぼ効かないと言われています。効いたとしても一時的で、治らないとされます。駒込病院は血液腫瘍の拠点病院として全国トップレベルの患者数を診ていますが、ここ数年でも1人の患者さんしか診ていません。

 それぐらい珍しい病気なんですね。

下山 各病院の希少がんセンターなどは、「うちの病院でこういう臨床試験をやっていますよ」という情報を発信しています。しかし、その際に製薬企業の力を借りることはできません。コンプライアンスの問題がありますし、製薬企業の力を借りると、患者さんにもあまり信用してもらえません。

かつては患者さんは、医者の紹介で病院を選ぶケースがほとんどであったと思います。しかし、最近では患者さんが自ら情報を調べて病院を選ぶ場合が、少しずつですが増えてきました。病気についての情報をYouTubeなど流すと、少ないながらもそれを見て来てくださる患者さんが増えているように感じます。

でも、医療の現場はみんな疲弊してしまっているので、そういった情報発信をボランティアに頼る形は難しい。そうでない良い方法はないのか、というのがひとつひとつの希少がんセンターの課題になっています。

 今までは医療側が情報を発信してきましたが、それではまったく間に合わなくなっている。患者側から情報を求めていかなければいけない時代なんですね。

先生が仰ったことは、ここ10年ぐらいでようやく起こってきた変化で、これから皆さんに知ってもらわなければいけないことですよね。

下山 そうですね。希少がんの状況については、がんを診る医者全員が知っている話でもありません。医療者に対してもうまく情報を発信していかなければならないのですが、日々、多くの患者さんに向き合っている医者は忙しくて、なかなか発信に力を入れられない状況にあります。今回この記事で希少がんの状況をお伝えする機会をいただき、大変有り難く思っています。

構成/集英社学芸編集部

見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録
東 えりか
見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録
2025/10/24
2,200円(税込)
336ページ
ISBN: 978-4087817683

夫の突然の腹痛、そして入院。検査を繰り返すが、原因は不明。
ようやく診断がついたときには、余命わずか数週間。
「原発不明がん」とは、いったい何なのか?

第22回開高健ノンフィクション賞最終候補作

【各界から絶賛の声、続々!】
理不尽極まりない、まさに「見えない死神」。明日は我が身。震え上がりながら一気に読んだ。
――成毛眞氏(「HONZ」代表)

哀しみの底に沈みながらも、決して諦めない。検証し続ける。その圧倒的な想いの強さに胸うたれる。
――小池真理子氏(作家)

著者は、愛する人を「希少がん」で亡くすという個人的な体験を病の普遍的な記録にまで昇華させた。苦しみを同じくする人々や医療難民にとって必見の情報と知見がここにある。
――加藤陽子氏(歴史学者)

【本書の内容】
ある休日、夫が原因不明の激しい腹痛に襲われた。入院して検査を繰り返すが、なかなか原因が特定できない。ただ時間ばかりが過ぎ、その間にも夫はどんどん衰弱していく。
入院から3ヶ月後、ようやく告げられたのは「原発不明がん」の可能性、そして夫の余命はわずか数週間ではないか、というあまりにも非情な事実だった。

この「原発不明がん」とは、一体いかなる病気なのか?
治療とその断念、退院と緩和ケアの開始、自宅での看取り……。発症から夫が亡くなるまでの約160日間を克明に綴るとともに、医療関係者への取材も行い、治療の最前線に迫ったノンフィクション。

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