全盛期での引退、六星占術の継承、そして晩年と最期
――まだまだ引っ張りだこだった時期に、TVの一線から退いた理由は?
本来、六星占術をもとに個人鑑定や講演会を開いて、悩んでいる人を助けてきた。書籍が売れたことを機にTVに出始めて有名になりましたけど、そういった自分の原点に返りたかったんだと思います。
――六星占術はどういった流れで継ぐことになったんですか?
母は「80歳で引退したい」「ハードスケジュールから解放されて、晩年は人間らしい生活を送りたい」とずっと言ってました。それで、私が30歳ぐらいのときに、母から「そろそろ考えてよ」って言われて。
――そのときの心境は?
最初は冗談かと思ったんです。でもそこから5年経って、母が高齢になったことで、マネージャーとしてガッツリ携わるようになりました。ただ、個人鑑定だけは、長年一緒に働いているスタッフさえも入れない空間だったんです。でも、母から「横に座って聞きながら学びなさい」と言われて、そこで私も周りも初めて「これは本気だ」と感じたんです。
――継承するうえで、細木数子の娘というプレッシャーや葛藤はありましたか?
母から「細木数子にならなくていい」と言われたのは、すごく大きかったなって思います。細木数子の信念や教え、占術的なことは引継ぎつつ、時代に合わせた発信の仕方をしたり、「自分らしく人の助けになる行動をすればいい」ということだったので。
――細木数子さんは晩年、どのように過ごされていたんですか?
孫やひ孫と遊んだり、家族との時間を大切にゆったり過ごしていました。母は昔から「病院で死ぬのは嫌だ。私は絶対、家族全員に見守られながら自宅のベッドで逝きたい」と言っていたんですが、最後の最後まで自分の望みを叶えた、いかにも細木数子らしい最期でした。
――どんな最期だったんでしょうか?
80歳を超えてもタバコを吸ってたので、何度も肺炎を繰り返してたんです。前日に発熱して抗生剤を打ってもらい、私が「大丈夫そう?」って聞くと、「大丈夫」とだけ返ってきて。それが親子で交わす最後の言葉になりました。翌朝、主治医から「ちょっと呼吸が…」って言われて、ひ孫も含めて家族みんなに見守られながら自宅のベッドで静かに旅立ちました。













