梅原大吾の衝撃
さらに、遠征文化が育まれたのもこの頃だ。「俺より強い奴に会いに行く」はストⅡの有名なキャッチコピーだが、プレイヤーたちもその言葉どおり、強プレイヤーがいるとの噂を聞きつけては各地のゲーセンに繰り出した。
「どこそこに30連勝してるベガがいると聞けば、わざわざ電車に行って乗り込んだりして。当時はSNSがないので噂とかゲーセンに置いてあったコミュニケーションノート、あとは2ちゃんねる等の掲示板に書き込まれた情報を頼りに強い奴に会いに行ってました」(松田氏)
遠征文化全盛の中、プレイヤーを困惑させたのがゲーセンごとに定められたローカルルールだ。
「『ソニックブーム連発&サマーソルトで迎撃』という、いわゆる“待ちガイル”戦法は多くのゲーセンで禁止されてました。あとは対空攻撃は昇竜拳で返すのはいいけど、しゃがみ+アッパーは簡単だからダメとか。
ひどいところだと強キャラのガイルやダルシムは使用禁止、最終的には“卑怯な戦い方はするな”なんてあいまいなルールになってましたね(笑)」(松田氏)
そんななか、 “強い奴”の代表格だったのが、日本初のプロゲーマー、梅原大吾氏だ。
「ニュートン志村店で開催された大会に中学生の彼が取り巻きをいっぱい連れてやってきたんです。僕はそのときすでに店長だったので『なんだこの子?』と思ってたんですけど、めっちゃ強くて。うちの店でも50、60連勝してたんじゃないかな。
ある対戦のあと、いつもの彼のプレイと違っていたので『強キックボタン、効いて(反応して)なかったよね?』と聞いたら『なんでわかったんですか⁉』というやりとりをして、話し込んだ記憶があります。彼は何十年に1人の天才ですよ」(松田氏)













