森保監督は、ある意味では被害者

この4年間の森保監督は、被害者だった。最終的には、自身の偉大な功績に翻弄されてしまったのだから。

2022年の年末、カタールW杯が終わって間もない時期に森保監督の続投のニュースが出たとき、今回のような疑問の声は少なかった。それは森保監督が日本代表監督として初めて、W杯の舞台で、W杯優勝経験国を破った指揮官だったから。しかも、ドイツとスペインという2つの優勝経験国を倒している。それゆえに評価が大きく高まったのは当然の流れだった。

今大会優勝したスペイン 写真/JMPA
今大会優勝したスペイン 写真/JMPA

それ以降、森保監督の独占インタビューの機会を得ることや、それを元にした書籍を作ることは活字メディアにとって大きな価値が出た。雑誌や新聞は以前よりその影響力が弱くなって読者数で価値を測ることが難しい時代になり、ビュー数が把握できるWebの記事は公開のタイミングに左右される。

そんな時代に「素晴らしい実績を持つ」代表監督のインタビューが掲載できれば、そのメディアが“頑張った”証拠になる。

そして、森保監督には「日本サッカーの発展に寄与したい」という熱い想いがあるから、白や黒で判断できない混沌とした状況が生まれた。森保監督に厳しい問いを向けるようなメディアが少なくなってしまうのは必然だった。

偉大な功績を残したことは、完璧な仕事をしていることを意味するではないのだが……。

デイリー新潮が北中米W杯期間中に配信した「森保氏を“批判できない空気”が流れている」と題した記事は、決して的外れなものではなかった。

なお、本稿はそうした論調の他のメディアを「外」から批判するつもりは一切ない。筆者もメディアの一員で、「中」の人間である。この状況を招いた責任を感じているし、猛省しないといけない。