重版とは初版部数の見誤り?
仮に3000冊を初版として刊行する。たちまち評判になり1カ月後に重版となった。さて、何冊刷るかが第一の難問。機械的に初版と同じ3000冊と判断する社はまずないだろう。
では、初版より減らして1000冊か、いや、ぐっと増やして5000冊か?
迷いに迷った末に2000冊にしたとする。すると、つぎなる難問は資金をどこから捻出するかだ。
たとえば4月に初版を刊行し、5月に増刷すると、印刷屋さんへの支払いは初版分が6月末、続いて増刷分は7月末となるのだが、じつはこの時点でまだ売上代金が入っていないのだ。
細かく言うといろいろあるが、4月初版分の売上が入金されるのは9月になってから。なのに、初版+重版分の支払いはやってくる。もっと言えば、この重版分が売れるかどうか、はたまた初版分からどれだけ返品があるかは神のみぞ知る。
「いや、そんなこと種々のデータから推測できるでしょ?」との声が聞こえてくるが、営業専門の社員を置いていないわが社では、なかなかそこまではできない。
いま、刊行からすぐに重版となった場合の話をした。
これと同じか、それ以上に「こわい」のが月日が経ってからの重版。
初版在庫はもうない、が書店からの注文はときどき入る、なにより出版社として大事にしたい1冊だ─そんな本の場合、刊行から数年を経ても重版する。
それなら売上代金が入ってきているのだから余裕だろ?との声も聞こえる(いろいろ聞こえてくるのです、脳内に直接)。
しかし、仮に初版分の粗利が200万円だとする。そこから社の人件費や固定費を捻出する。そして、重版分に60万円が必要となると……、目もあてられない。
しかも、その重版分は在庫となるわけで、税務的に言えば資産計上される。1カ月1冊あたり3円程度の倉庫代もかかる。
いやはや、「重版こわい」だ。
かつて、出版業界でこんな名言を言った方がおられる。
「重版とは初版部数の見誤りである」と。
この言葉を嚙みしめる10年だった。
世の人が何冊この本を必要とするか、きちんと目算が立つならその分だけ初版で刷ればよい。が、そうは問屋が卸さないので初版冊数では不足する。よって、出版社はさらに儲からない。悪循環だ。
が、先の名言にはじつは後段がある。
「初版が売れ残るのも部数の見誤りなんだけどね(笑)」
ほんと、その通りだ!
あれ? ということは、多くの初版は部数を見誤ってることになる!?
なんだか論理学のケースみたいだけど、出版社の社員さんはともかく、経営者はずっと「重版こわい」なのだ。
ただ、その宿命を変えようとしているのが電子書籍。売れっ子マンガ家を抱える出版社は電子書籍の隆盛で笑いが止まらないという。
実際、そのおかげで2020年代になって過去最高益を出している出版社もあると聞く。しかし電子書籍ばかりが売れるということは、必然的に書店には1円も儲けが入ってこないことになる。さらには取次も出版社の好況を指をくわえて眺めることになる。
このことを、専修大学教授の植村八潮さんは2022年を回顧するコラムで「出版社・取次・書店の三位一体が崩れた」と書いた(「東京新聞」2022年12月10日)。
出版社だけが儲かるシステム=「重版」のない世界は、いわゆるゼロサムとも違う終末感が漂う「こわさ」だ、というのは言いすぎだろうか。













