『カンザキさん』と『時の家』のはじまりについて
――今回の対談は、野間文芸新人賞の贈賞式の数日後に実施しています。おふたりにとって初めての文学賞の贈賞式だったと思うのですが、終わってみて今どんな心境ですか。
鳥山 あんなに大勢の人がいる場でスピーチをする機会なんてこれまでなかったので、とにかく緊張しましたね。僕、贈賞式が終わって翌々日ぐらいに発熱しちゃったんですよ。
3号 大丈夫ですか? いまインフルエンザ、流行ってるから。
鳥山 インフルではなかったんですけど、あのときの緊張感が熱になって出てきたんじゃないかなっていうぐらい張り詰めた時間でした。僕自身、今年は子どもが生まれて、こういう大きな賞もいただいて、がらがらがらっと生活が変わった感じがしていて。
3号 そっか、大変や。
鳥山 そういうなかで、これから執筆活動を続けていく自信をもらった気がしますね。
3号 僕もちょっとね、緊張しました。けど、自分は鳥山さんより年齢がひと回りぐらい上で、演劇の仕事も含めていろんな経験をしてきての受賞だったので、ヘンに浮ついたり、天狗になったりとかもなくて。今は粛々と、次の小説を書かなきゃなって感じてます。それにしても鳥山さん、いきなりこんな完成度の高い作品書いちゃって、この次ほんまどうすんのって思っちゃいますけど(笑)。
鳥山 そこはまあ、僕も粛々とやるしかないですよね(笑)。
――おふたりの作品は好対照をなしていて、読者にまったく異なる読書体験をもたらします。バックグラウンドとの密接な結び付きがあるかと思うのですが、作品の話に入る前に、それぞれのルーツについてうかがってもいいですか。
鳥山 じゃあ、僕からいきますね。印象に残ってる読書体験っていうことでいうと、東野圭吾さんの『白夜行』との出会いがあります。中学校の頃、図書館で借りてきた本を延滞しながらずっと読み続けてました。それくらい物語の世界にのめり込んだ、原体験ですね。それ以降も伊坂幸太郎さんとか、エンタメ作品がすごく好きで、純文学を意識的に読みはじめたのは、社会人になってからなんです。20代の半ば、けっこう遅めですよね。もともと小川洋子さんの作品が好きで、そこから芥川賞とか野間文芸新人賞の受賞作とかを読み漁るようになった感じです。
3号 自分も小川洋子さん大好きです。『妊娠カレンダー』の文庫版に収録されてる「ドミトリイ」っていう短編がほんま衝撃で。『博士の愛した数式』のイメージが強かったけど、こんな尖った人なんやって。
鳥山 烏滸がましい話なんですけど、小川洋子さん経由で純文学に触れていろいろ読んでいくうちに、うっすらと、「こんなに純文学を面白いと思えるんだったら、ひょっとして自分にも書けるんちゃうか?」っていう謎の飛躍というか、勘違いをしちゃったんです。で、実際書いてみたら全然書けなかったんですけど(笑)。でも、その後も仕事に行く前の朝の時間とか、昼休みとか、こつこつ書き続けて今があるっていう感じです。
3号 鳥山さんは建築士をしながら小説を書いてらっしゃるんですよね。
鳥山 そうですね。大学が建築系の学科出身で、そのまま大学院に行って、建築業界に入ったっていうルートを辿ってきました。そもそもなんで建築の道を志したのかっていう話でいうと、そこには自分なりの理由があって。高校は理系で、物理とか数学が得意でした。一方で、芸大に通っていた姉がいるんですが、芸術の道に進んだ姉への憧れがずっとあったんです。そういう環境のなかで、理系と芸術のセンスをかけ合わせると建築になる、っていう僕なりの数式というか、持論ができていったんです。
3号 おもろいですね。僕は両親が本読みだったので、その影響がデカい。ゲームは禁止だったんですよ、でも本だったら漫画も含めて何でも買ってくれて。めっちゃベタですけど、中高の頃に親が好きだった村上春樹を初めて読んで衝撃を受けました。「なんでこんな自分のことが書いてあるんやろう」って。それでひとまず村上春樹作品を全部読んで、そうこうしているうちに「どうやら村上龍という作家もいるらしい」となって、今度は村上龍作品を読み漁って。そっからはもう、手当たり次第になんでもっていう感じです。大学生の頃は文芸誌めっちゃ読んでて、芥川賞の選評とか、今でも大好物です。
――3号さんは劇団「ももちの世界」を主宰する劇作家でもいらっしゃいます。20年ぐらい演劇の世界で活動を続けてこられましたが、そもそも演劇と出会ったきっかけは?
3号 たまたまです。大学に入って、何かやらなきゃと思っていたところ、新入生歓迎のサークルのブースを覗いてみたのが演劇サークルだったっていうだけで。演劇なんてそれまで一度も観たことなかったのに、サークルには自分と似たような人がけっこういて、どうにも居心地がよかった。そこにのちにピンク地底人1号、2号を名乗る女性がいたんですが、ふたりに「ラーメンズの小林賢太郎の戯曲をやりたいんだけど、上演時間が短くてもたないから何か書いて」って言われたんです。それで書いてみたら書けちゃって、2号が「面白い」と言ってくれた。そのときの感動がいまだに僕の中に残っていて。そしてその感動に似た体験がひとつずつ重なって、こうして劇作家として書き続けている感じですね。
鳥山 小説はもともと書かれてたんですか?
3号 いえ、『カンザキさん』が初めてです。2年ぐらい前かな、ある文芸誌の編集者からエッセイの依頼があったんです。そしたらそれを気に入ってくれたみたいで、「小説書きたくなったら、声をかけてくださいね」って。そんな機会、なかなかないじゃないですか。これはもう書くしかないぞと思って。じゃあ何を書こうかとなったときに、やっぱり一作目は私小説だろうなと。学生時代、文芸誌を片っ端から読んでて、デビュー作は私小説っていう作家が大勢いるのを知ってたので。それで自分のことを書くなら何が面白いかと半生を振り返ってみたときに、20代の頃にいろんな仕事を経験したなかで、配送会社での体験が一番強烈やったからそれをベースにしようかなと。
鳥山 じゃあ、執筆にあたっての取材とかは――。
3号 まったくしてないですね。戯曲を書くときはめちゃくちゃリサーチを重ねるんだけど、そもそも私小説だし。とはいえ、実体験は全体の3割くらいですかね。10年とか20年が経つと、果たしてそれが本当にあったことなのかどうか、正直なところわからなくなってくるんですよ。良くも悪くも、記憶を書き換えちゃうから。でもひとつだけ言えるのは、上司にカッターナイフで脅されたのは本当です(笑)。
――フィクショナルなシーンかと思いましたが、あれが実体験に基づいているのならば、いち読者としては虚実の境界線がわからなくなってきます。
3号 劇作家としての経験値ゆえか、核になるような実体験がひとつでもあれば、あとはなんぼでも嘘をついて物語を膨らませていけるっていう確信があって。だからあのカッターナイフにまつわるエピソードを冒頭に持ってきたんですよね。
鳥山 あの場面、ほんと強烈ですよね。僕は2年ほど前に自分の家を建てたところから、すべてがはじまっています。僕と、同じく建築士の妻とふたりで一緒に設計した家で。そのとき目の当たりにした光景や、肌で感じたことが、僕にとってはすごく大切なもので。どうにかしてこれを残したい、現場で作業をしている職人さんたちの佇まいや手つき、彼らが作り上げていく家の陰影など、そういったすべてを残したいなと思って。だったら、小説という形で残せばいいじゃないかと思い立ったのが、『時の家』のはじまりです。
3号 じゃあ、鳥山さんもあんまりリサーチとかはしてない?
鳥山 自分の家を更地の状態から建てていったので、それこそ週に一回ぐらい、とにかく足繁く現場に通っていました。そこで見えてきたもの、あるいは体感できたものがあるから、小説を書くために十分な材料があった。むしろ書ききれなかったことのほうが多いくらいで、この作品に関してはリサーチというものはまったくしてないですね。
















