「武家の女性像を問い直す」『武家女人記』砂原浩太朗 インタビュー_1
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武家女人記
著者:砂原 浩太朗
定価:1,980円(10%税込)
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令和のいま、武家の女性を描く

――『武家女人記』は、主人公がすべて武家の女性という作品集です。砂原さんにとって初めての試みとなりますが、なぜ「武家の女性」をテーマにしようと思われたのでしょうか。

砂原 ヒロインの描き方が印象的だったらしく、『高瀬庄左衛門御留書』を刊行して以来、編集のかたから女性を主人公にした作品を望む声を多くいただくようになりました。そこで「小説すばる」で連載するに当たり、いままで経験のない「全編女性主人公の連作」という形式をやってみようと決意したわけです。

――農家や商家ではなく、武家の女性を選ばれたことには、どういった理由があるのですか。

砂原 とくに武家の女性は生きていくうえで多くの制約を課せられています。しかし、それを逆手に取ることで、制約に(あらが)ったり、乗り越えようとしたりするドラマが生まれるのではないかと思ったんですね。

――武家が活躍した時代は長きにわたりますが、そのなかでも江戸時代に絞られたのはなぜでしょうか。

砂原 たしかに、戦国時代を含めることも考えました。ただ、「全編通して江戸時代」という設定を貫いたほうが、主人公となる女性それぞれの個性を、より際立たせられるのではないかと。ですので、身分や年齢に幅を持たせ、さまざまな境遇の女性を主人公に据えています。

――収録されている七編すべてに、男性を中心とした「(まつりごと)」によって女性の運命が決められてしまう、当時の(いびつ)な社会構造が通底しているようにも感じました。

砂原 従来の武家ものでは、そうした社会構造に縛られ、家や夫、あるいは子どものために耐え忍ぶ女性像が多かったように感じます。でも、いまの時代にそれを書いても、読者はなかなか共感しづらいんじゃないでしょうか。今作では、伝統的な枠組みは尊重しながらも、いままでの武家もので描かれてきた女性像とは少し違うアプローチをしたいと思いました。当時の社会でそれが実現するかどうかは別として、自分自身の願いや意志を強く持った、主体性のある女性を描きたかったんです。

――巻頭に収録されている「ぬばたま」の主人公・織江は、禄高百石の馬廻りの家の末娘。彼女は嫁入りを前に、これまで足を運んだことがなかった夜のお祭りに行ってみたいという願いを押し通しますね。

砂原 たとえば結婚のような大きなライフイベントによって生活が変わってしまう前に、これまで経験してこなかったことをやっておきたいという気持ちは、多くの読者が感じた覚えがあるはずですよね。織江はお祭りで起きた事件によって周囲から非難されながらも、結果的に自分の思いを貫いて生きていくようになります。そういった個人の衝動や気持ちを手放さずに行動する主人公を最初に登場させることで、この作品集の方向性を示しておきたいという思いがありました。

――「あねおとうと」は、筆頭家老の家に嫁いだ主人公の美佐(みさ)が、藩内の政争で意見を対立させている息子と実弟とのあいだで板挟みになりながらも、家の存続のために奔走する話です。彼女は動機こそ「家を守る」ですが、こちらも現状を耐え忍ぶのではなく、自ら行動に移していく人物として印象に残りました。

砂原 表面に出ていないだけで、女性も政にかかわっている部分はある。「あねおとうと」では、その視点を盛り込みたかったんです。そのうえで、美佐にとって、「家」とは夫や子どもをはじめとする身近なひとたちそのものであり、だからこそ守りたいのだ、という動機付けをしています。この点は、武家の女性の行動原理として、さりげなく新しい視点を提示できたのではないかと思っています。

――新しい視点ということですが、デビューから現在に至るまで、砂原さんのなかで女性を描く際の意識に変化はあったのでしょうか。

砂原 デビュー当初から自我をしっかり持った女性を描いてきたつもりなので、そういう意味では大きな変化はありません。一貫して気をつけているのは、男性にとって都合のいい女性を書かないということですね。社会的な制約が大きいなかでも、主体性を持った人間であってほしい。そう願って描いています。

――個人の主体性と、それを許さない社会の制約が衝突してしまったケースが「深雪花」ですね。番頭の家に生まれた主人公の穂波は、『北越雪譜』を読んで、雪の結晶に心を惹かれる。験微鏡を使ってそれを自分の目で見てみたいと願うも、女性の身では藩校にすら通えないという現実が立ちはだかります。

砂原 穂波は時代小説では珍しい、いまでいう「理系女子」のような設定で、私も好きなキャラクターです。個人的な心情としては江戸に遊学させてあげたいのですが、時代を鑑みるとそれはできない。だから私自身、彼女と同じようなもどかしさを抱えながら書いていました。時代小説の枠組みを取り払ってしまうとなんでもありになってしまいますから、悩んだ結果、あのような結末に着地したという感じですね。