サッカーW杯ボイコット運動、3つの争点

今回の反対運動における最大の争点は「アメリカのグリーンランド所有への意欲」だ。

1月下旬のAP通信の報道によると、トランプ米大統領のグリーンランド取得意欲や、反対する欧州諸国への関税示唆を理由に、ドイツサッカー連盟の副会長であるオケ・ゲットリヒ氏が「W杯ボイコットを真剣に検討・議論する時期だ」と発言した。

この動きに呼応する形で、オランダでは代表チームの渡米中止を求める請願が15万件にのぼり、イギリスやフランスでも撤退議論が一部議員によって発議されている。加えてアメリカの移民取締りや入国審査への不安もくすぶっている。

2月4日現在でアメリカは世界39カ国に対して入国禁止・制限を課しており、AP通信は6月開催のW杯、2028年ロサンゼルス五輪の観客やメディアにも適用されると伝えている。この39カ国には、W杯出場が決定したコートジボワールやセネガル、イランが含まれており、イラン代表は抽選会のボイコットを一時表明するまでに至った。

また政治的中立の観点からも矛盾が指摘されている。国際サッカー連盟(FIFA)は昨年12月のW杯組み合わせ抽選会で、トランプ米大統領に「FIFA平和賞」を授与した。

公式サイトでは「人々を平和の精神で結びつける努力を称える」と説明されているが、受賞した当人は翌月にベネズエラ攻撃を主導し、さらにはグリーンランド所有への意欲を隠さない。なぜ平和賞が授与されたのかという疑問の声も多い。

「FIFA平和賞」を授与したドナ・トランプ米大統領(写真/共同通信社)
「FIFA平和賞」を授与したドナ・トランプ米大統領(写真/共同通信社)
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一部では「開催への忖度」という批判もあり、一連の動きを鑑みると欧州でボイコットの声が高まることは必至だったと言える。FIFAはこれまでのボイコット運動について、2月4日時点でコメントを出していない。 W杯の歴史をさかのぼると、ボイコットは何度か起こっている。 

W杯の歴史を遡ると、実際にボイコットまで発展し功を奏したケースもある。

1966年のイングランド大会では、アフリカ諸国による予選ボイコットが起きた。本大会への出場枠がアフリカ、アジア、オセアニアの3大陸で「1枠」のみだったことに抗議し、当時のアフリカサッカー連盟(CAF)に加盟していた全15カ国が予選をボイコットした。

これを受けてFIFAは1970年メキシコ大会からアフリカに出場枠を与えたため、ボイコットが実際に制度を変更させた唯一の事例となった。