「できない理由を並べるのではなく、どうすればできるかを考えろ」
世襲議員の多くは、そうした官僚機構と持ちつ持たれつの関係を築き、神輿に乗っているだけの存在になりがちだ。親から受け継いだ地盤の上で、あらかじめ用意されたレールを走る彼らには、壁を壊す必要性も、壊した時の痛みもわからないのかもしれない。
ガースーは違った。
「できない理由を並べるのではなく、どうすればできるかを考えろ」
その姿勢が、固く閉ざされていた役所の扉をこじ開けたのだ。
今、日本は深い閉塞感に覆われている。
少子高齢化は止まらず、経済は停滞し、国の借金は膨らむばかり。私たちは「どうせ日本なんて」と、諦めに似た感情を抱いて生きている。「もう成長なんてしない」「政治に期待するだけ無駄だ」と。
しかし、菅義偉という政治家が残した足跡は、そんな絶望に対する静かな、けれど力強い反論になっている。
まだ、政治にもやれることはある。
金をかけなくても、知恵を使えば解決できる課題はある。既得権益の壁は厚いが、決して壊せないものではない。一人の人間が、強い意志を持って行動すれば、国という巨大な船の舵を切ることだってできるのだ。
演説家ではなかった。パフォーマンスも下手だった
彼は雄弁な演説家ではなかった。パフォーマンスも下手だった。無愛想で、言葉足らずで、誤解されることも多かった。それでも、黙々と、実務家として仕事をこなし続けた。
冒頭に記した以下の言葉は、引退会見の最後に彼の口から語られたものだ。
「何もないゼロからの出発でも、総理大臣までなれるという、そうしたことを経験する人ばかりであってほしい」
これは単に「夢を持て」という甘いメッセージではないと思う。「生まれや育ちは関係ない。やる気と能力のある人間が、正当に評価され、活躍できる国であってほしい」という、既得権益と戦い続けた男の、切実な願いではないだろうか。
そしてそれは、世襲と縁故で凝り固まった今の政治に対する、最後にして最大の皮肉であり、警鐘のようにも響く。
菅義偉総理。
あなたは、ボロボロになったこの日本において、「政治にはまだ希望がある」ということを、言葉ではなく、その背中で教えてくれました。あなたの蒔いた種は、携帯電話の請求書を見るたびに、あるいは台風の夜に川の水位を見守るたびに、私たちの生活の中で芽吹き、この国を支え続けています。
派手な花火は打ち上げなかったけれど、土の下で強く根を張るような、そんな政治でした。
長い間、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
文/小倉健一












