「ごん太」と呼ばれて
関西では、やんちゃで手がかかる子を「ごん太」と呼ぶ。森岡は親からも教師からもその典型と思われていた。
小学校時代の森岡は〝規格外〞の子だった。
生まれは1972年10月。母の実家があった北九州市で、1歳上の兄に次ぐ森岡家の第2子として産声を上げた(その後、5歳下の妹が生まれた)。育ったのは兵庫県伊丹市なので、彼にとっての故郷は伊丹市だ。
両親とも保守的で真面目な人柄だった。会社勤めの父は社交的で粘り強く、料理上手な母は優しく内向的。裕福な家ではなかったが、森岡が言うところの「四角い家庭」を築いていた。
厳格な父から教わった人生の指針は、「迷った時は厳しいほうを取れ」だった。USJにいた時も、刀を起業した時も、ジャングリアの計画を進める時も、「迷った時は厳しいほうを取れ」を実践した。
ただし、幼少期の森岡は、両親たちがつくり上げる「四角い枠」からはみ出す子でもあった。
乱暴者だったわけではない。知識欲があり、弱者の気持ちがわかる心の優しさもあった。年上に絡まれている下級生を見れば、仲裁に入る正義感も持ち合わせている。
それでも、「普通の人ができることを、圧倒的にできない子と思われていました。周りの人と話を合わせて、楽しく生きることができなかったんです」と森岡は苦笑する。頑固な性格で「やりたいことはやらなくては気がすまないし、やりたくないことはどうしてもしたくなかったから」という。
とにかく「嫌なものは嫌」だった。
勉強については、興味が持てるものはいくらでもやるが、漢字や算数のドリルは同じような問題を繰り返す意味がわからず、「こんなものやるなら、窓から飛び下りたほうがましだ」くらいに思っていた。
小学校時代のある年、マラソン大会を控え、クラスの担任教師が「みんなで休み時間に練習しましょう」と生徒たちに声をかけた。しかし、教師の呼びかけを無視して、好きな本を読んだり仲間を誘ってドッジボールをしたりと、自分の好きなことをやり続けた。
教師は「なんでみんなと同じことができないの!」と、森岡を厳しく問い詰めた。森岡は「なんでみんなと同じことをしなくちゃいけないんですか」と口答えして、教師をさらに激昂させたのだった。
文/奥井 真紀子













