現在から逃亡するための号令
政府が余計な口を出さない自由な経済活動、そして勤勉な者が報われ、負担の少ない社会。これこそが、経済原則に合致した繁栄への道である。
本来、保守政治家であれば、自助努力を尊び、政府の肥大化を戒めるはずだ。しかし高市首相がやっていることは、どうだろうか。官製春闘で企業に賃上げを強要し、その裏で社会保険料を引き上げ、補助金漬けにして産業の新陳代謝を阻害する。
「6月解散説」を流したのは、野党や公明党の準備を遅らせるための罠だったと言われる。どこかで自らの口で「解散」と発せられる言葉が、どのような美辞麗句で飾られていようとも、賢明な国民は騙されてはいけない。それは未来を切り拓く宣言ではなく、現在から逃亡するための号令なのだから。
私たちは問わねばならない。「高市さん、あなたは一体、どんな国を作りたいのですか」と。
負担ばかりが増え、賃金は上がらず、外交では無視され、理念なきバラマキだけが横行する国。それが目指す「国の形」なのだろうか。
空回りを続ける積極財政と、理念なきバラマキの果てに
今、求められているのは、痛みを伴う改革から逃げず、国民に真実を語るリーダーだ。
「皆さんの税金は、一円たりとも無駄にはしない。だからこそ、国に頼るのではなく、自らの足で立ってほしい」
そう語りかけ、減税とムダ使いをやめる政治を断行する。そんな当たり前の政治が行われることを、願ってやまない。
1月23日、もし本当に解散の号砲が鳴るならば、それは国民にとって「信を問う場」ではなく、政権による「責任転嫁の儀式」に過ぎない。
美辞麗句で包み隠した負担増の請求書を、国民が中身を確認する前に無理やり判を押させるようなやり方は、およそ保守が重んじる「誠実さ」とはかけ離れている。
空回りを続ける積極財政と、理念なきバラマキの果てに待つのは、国家の衰退という冷厳な現実だ。高市首相が守ろうとしているのは、日本の未来なのか、それとも自身の権力という名の蜃気楼なのか。有権者は、その化けの皮を剥がす覚悟を問われている。
文/小倉健一













