「日本公開版だけ」の説明となった10ヶ月後の記者会見
日本公開を目前にした伊藤詩織監督は、25年10月に、ハーバード大などを含む米国大をめぐり、上映会ツアーを開催。そのツアーで使用されたものは、オリジナルとは異なるバージョンであったという。
業界人でなければ、映画祭や上映会と、劇場上映や配信の違いなど知りもしない違いであるため、海外大での上映会を以て、「日本版は修正版を上映」「海外でも対応をした」という結末にも、見えるだろう。
しかし、海外で配信やDVDを通して流通している『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』の差し替えを、実行する予定はあるのだろうか。
それらについて、記者会見で質問できる機会はなかった。プロデューサーであるエリック・ニアリ氏に、「海外の劇場上映・配信・DVDについては、どのような状態になっていますか」と質問を送ったが、期日までに回答はなかった。
2月の記者会見で、元弁護団は、以下のように冒頭に発言をした。
「今日の会見は決して日本での上映に向けた作品の再編集だけを求めているものではありません。(中略)現在世界中で流通していて米国のアカデミー賞にノミネートされている『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』、それが議論の対象です。その事を念頭においてこれからの話を聞いていただきたいと思います」
その記者会見では、他人を踏み躙って商品を作ることは許されず、「海外版」と「日本版」を分けて語ることは無意味であるという思想が伝えられた。
しかし、10ヶ月遅れで実現された伊藤詩織監督らの記者会見では、「世界中で流通しているブラック・ボックス・ダイアリーズ」が議論の対象になることはなかった。
寄せられた質問らは、日本版についていかなる修正がなされたのか、ついに国内公開にこぎつけた気持ちは……などであり、「日本版」と「日本公開」に焦点が向けられるものとなった。
映画制作チームは、10ヶ月という時間を置くことで、結局は「日本版についてだけの記者会見」をすることに成功し、海外興行は、その規模に関わらず、議論のテーブルで透明化されたものように感じられた。
世界的な興行をしながら、「もう終わった話」として、現在進行形の物事だけに目を向けさせ、論点を日本版だけとすることに成功したのだから、結局はその稚拙に見える「言い訳」もまた、巧みだったのだろうか。
文/蓮実里菜













