「最初から確信の下で頑張ってきた」
「正直申し上げますと、最初はいろいろありましたけど……私は最初から小選挙区のみなさんが通ってくれればいけると。その確信の下で、とにかく愛媛県は全員通ってもらうということで頑張ってきた」
当選後、笑顔でそう答えた村上氏だが、今回の当選は自民の圧勝がなければ、簡単なものではなかったことは明白だろう。
名簿発表時には、かつて安倍晋三元首相を「国賊」と表現して党内で孤立した経緯や、高市早苗政権との距離感が「冷遇」の背景にあるのでは——と見られていたが、投開票の結果は“絶体絶命”の見立てを覆すものとなった。
発端は、比例名簿をめぐる党内の空気だった。全国紙政治部記者によれば、四国ブロックの総会で議員たちが名簿順位を話し合う場面でも村上氏の話題は上がらず、本人がしびれを切らして『「比例での優遇は2回ある約束だった」』と口にしても同調は広がらなかったという。
さらに村上氏には「中道から声がかかっていた」との噂があり、本人もそれをにおわせていたとされ、「こんなことなら本当に“鞍替え”していたほうがよかったのかもしれません」との見方まで出ていた。
そもそも村上氏は、2024年の衆院選で区割り変更により小選挙区の議席が減ったことから比例に回り、その際は四国ブロック1位として厚遇された。しかし今回は定年制の運用も絡むなかで「10位」へ後退。
党内の人望が厚いタイプではないとも言われ、石破茂前首相が「村上先生は大変ご立派な方」と評していた一方で、石破氏退任後の執行部で村上氏を支える後ろ盾は乏しい。そんな構図が強調されていた。
ただ、村上氏の“人となり”をめぐっては別の顔もある。
地元紙記者は、初対面の記者が「お久しぶりです! 覚えてますか?」というと「覚えてる、覚えてる!」と話を合わせるようなフレンドリーさがあると証言している。
問題となった「国賊」発言の場面でも、取材に加わった飛び込みで来た記者に対し「いいよ、いいよ」と応じ、録音や発言者明示もあっさり認めた結果、発言が広く報じられ、1年間の役職停止処分に至ったという経緯もあった。













