名もなき人々の内面に迫る
――砂原さんは、阪神・淡路大震災を題材にした『冬と瓦礫』を除けば、デビュー長編の『いのちがけ 加賀百万石の礎』から本作『武家女人記』に至るまで、すべての作品が歴史・時代小説となっています。歴史・時代小説というジャンルで書き続ける理由は何でしょうか。
砂原 極限状況を描きやすいから、ということは大きいです。理不尽な理由で生死の境に追いやられる状況がしばしば起こり得るからこそ、人間の本質が浮き彫りになるのではないかと思っています。
――砂原さんにとって、創作をされるうえでの歴史小説と時代小説の大きな違いはどこにあるとお考えですか。
砂原 時代小説のほうが日々の生活を描きやすく、登場人物の内面に迫りやすいですね。『高瀬庄左衛門御留書』でも米を炊くのに四苦八苦する場面がありますが、そうしたささやかな日常を描くことで、人間像をより鮮明に浮き上がらせることができる。歴史小説はどうしても書かなければいけない事件や史実が多くなりますから、一人ひとりの内面をより深く描くという点では、時代小説のほうが向いているのではないでしょうか。
――『冬と瓦礫』のあとがきに、〈報道などでは取り上げられない、そうした立場の者にもやはり痛みはあるという思い〉で執筆したという言葉がありました。『冬と瓦礫』は現代小説ですが、歴史に名前が残らない人々を描くという点で、時代小説にもその思いは共通しているように感じます。
砂原 意識していたわけではありませんが、言われてみればそうかもしれませんね。『冬と瓦礫』の主人公は、ほぼ自分とイコールで、ストーリーも大筋は私自身が経験したことです。家族を亡くしたり家が失われたりといった被災者が多くいるなかで、そうでない人の内面はニュースになりにくい。しかし、小説であれば、そうした人々の思いも描けるだろうと考えて書きました。
――『冬と瓦礫』やこれまでの作品もそうですが、『武家女人記』にも家族の物語が多く収録されています。砂原さんにとって、「家族」とはどのような存在でしょうか。
砂原 うーん、簡単には言い表せないもの、ですかね(笑)。いのちの源であると同時に桎梏でもある。もしかすると、家族とはどのような存在なのかを考えるために、私は小説を書いているのかもしれません。あえて言葉にするならば、「自分にとって取り組むべきもの」でしょうか。
――デビューされてからまもなく十年となりますが、家族に対する考え方に変化はありましたか。
砂原 人間は一人ひとり異なっていて、誰にでも当てはまる原理などないのだと感じることが増えましたね。家族にも無数のかたちがあり、ある家族にとっての幸せが、他の家族にとっても幸せとは限らない。だから、永遠に答えは出ないのでしょう。
――答えが出ないからこそ、「取り組むべきもの」なのですね。
砂原 そうですね。人間は誰しも、誰かの血を継いで生まれてきます。その事実からは誰も逃れられない。だからこそ、血のつながりや家族とどう向き合うかは、万人にとって大きなテーマなのだと思います。
自然と開かれる引き出しの数々
――砂原さんの作品を紹介する際に、その端正かつ美しい文章を魅力として挙げる読者も多いのではないかと思います。時代の雰囲気を色濃く感じさせるこの文体は、どのように磨かれてきたのでしょうか
砂原 もともと読者を意識してというよりは、自分が心地よいと感じる文体を模索してきた気がします。だから、私の文章を好ましいと思ってくださる方がいるならば、その方とは、なにが心地よいと感じるのかを共有できているのでしょうね。
――どのような文章を理想と捉えているのでしょう。
砂原 大前提として読みやすくあるべきと考えていますが、その上で、余韻や格調のようなものが後に残る文章を目指しています。あと、リズム感はとくに重視しますね。ですから、文章は細部まで何度も推敲を重ねます。もうひとつ、台詞はなるべく簡潔にして、説明的にしないということは強く意識しています。
――確かに印象的な台詞は多いですが、説明に終始した台詞は見当たりません。
砂原 私はもともと歌舞伎や演劇が好きなので、台詞に力を注いでいる芸術に多く触れるうち、台詞というものにより自覚的になったのかもしれません。台詞を大切にしているからこそ慎重に使う、という姿勢です。
――過去のインタビューで、登場人物の台詞についてはハリウッド映画から影響を受けているとお話しされていました。
砂原 作品によってですが、時おり差しはさむウィットや、ちょっとしたユーモアの部分ですね。ハリウッドの黄金時代である一九四〇~五〇年代の映画が好きでよく観ていたので、自然に取り入れたところがあるような気がします。時代小説でも緊迫した場面にひとさじのユーモアを加えることで、状況がより引き立ち、余韻が生まれる効果があると思うんです。
――多彩な要素を盛り込んだ作風も、砂原作品の魅力だと感じています。たとえば『高瀬庄左衛門御留書』は、人情、家族、チャンバラ、政治……と、これらは意識的に取り入れていらっしゃるのでしょうか。
砂原 自分の頭のなかにあるさまざまな引き出しが、作品のテーマや編集者とのやり取りに応じて自然と開かれていく、という感覚ですね。いろいろ盛り込みつつも、それぞれの要素をきちんと着地させることで消化不良にならないよう心がけています。
――直近の『烈風を斬れ』は、エンターテインメントに大きく舵を切った印象のある一作でした。
砂原 これも、もともと自分が持っていた要素です。『高瀬庄左衛門御留書』にはじまる武家ものでは、抑えた筆致で登場人物の葛藤を描くことを意識して書いていました。一方、『烈風を斬れ』では、自分のなかにある少年漫画的な引き出しが開いた感がありましたね。とはいえ、『烈風を斬れ』もエンターテインメントに振りながらも、風景描写であるとか登場人物に語らせすぎないとかいった根本的な部分は、要所要所で踏襲しているつもりです。
――『烈風を斬れ』はデビュー作以来となる歴史小説でもありました。
砂原 武家ものをきっかけに注目していただいたので、これまでは時代小説のオファーが多かったんです。最近は歴史小説の依頼も少しずつ増えてきたので、また挑戦していきたいと思っています。
――『武家女人記』では架空の女性を主人公にされましたが、今後書いてみたい歴史上の女性はいますか。
砂原 日野富子ですね。足利尊氏・直義兄弟の物語を書きたいと以前インタビューでお答えしたことがあるのですが、室町時代はまだ小説として書かれる機会が少ないこともあり、かねてから興味を抱いています。
――最後に、『武家女人記』を手に取ってくださる読者の方に、ひと言お願いします。
砂原 武家の女性を主人公にした時代小説には、山本周五郎先生の『日本婦道記』という名作があります。それから八十年が経った令和の時代に、山本周五郎賞をいただいた作家として、あらためて女性を主人公にした連作を世に問うてみました。いまを生きる読者の皆様にも、きっと楽しんでもらえる内容になっていると思うので、ご覧になっていただければ嬉しいです。
「小説すばる」2026年1月号転載














