1週間の外泊で起きた悲劇
移植を終えた拓也さんは、副反応に苦しんだ。
「移植から戻った拓也は、39度の熱を出し、ガタガタ震えていました。吐き気と倦怠感もありました。移植当日をday0としてカウントしていくのですが、直後はほぼ何も口にできないほど衰弱していて、day10くらいにようやく少し固形のものが食べられました。
day6までは39度の発熱もあり、その後も蕁麻疹や鼻血、倦怠感はありました。血液の数値を3日ごとに確認して、白血球や好中球が上がってくることを拓也も私も祈るような気持ちでいました」
EBウイルスを摩滅するために投薬が行われているが、同時に拓也さんの血球も破壊される。根絶された血球が移植後に回復してくれば、弟の細胞が拓也さんに根づいたことになる。
だがついにその兆しはなく、5月末に行なった骨髄検査で、生着不全がわかった。拓也さんの身体が弟の細胞を拒否してしまったのだ。
「やるしかないっしょ」。それでも拓也さんは前を向いた。ドナーを父親に切り替え、今度は無事に生着。「お医者さんも看護師さんも喜んでくれて、私自身も涙が止まりませんでした」と母親は振り返る。
とはいえ拓也さんの身体はまだ感染症に耐えられない。退院するまでの間、自宅では拓也さんを迎える準備が整えられた。
「カビは大敵です。寝具などをすべて取り替え、空調の掃除も入念に行いました。『神経質すぎるのではないか』と思えるほど、除菌を徹底しました」
2023年末、父親からの移植もday185を迎え、病院で検査をしたとき、医師からうれしい言葉があった。「感染症に耐えられるだけの免疫力が育っています」。ウイルス抑制のためにしていた投薬量も、減らしていく方針が示された。同時に、医師は「まだ慎重に行動してください」と釘を差した。
だが、危惧されていた出来事が起きてしまう。2024年5月1日、拓也さんは外泊先から救急で搬送された。外泊期間は1週間、相手は交際相手だった。家族の誰にも告げない外泊だった。
「ある日、自宅から、1週間分の薬とともに拓也がいなくなっていました。その後、外泊先で体調を崩し、地元の病院に運ばれたようです。そこから、聖マリアンナ医科大学病院に3時間かけて搬送されました。拓也の身体は肺炎におかされていて、医師から『あと1日遅かったら危なかった』と告げられました」
快復の兆しが見えてきたタイミングでの肺炎に、家族は揺れた。呼吸の苦しいなかで、拓也さんは「必ず肺炎を治す」と約束したという。
一命は取り留めたが、この日を境に体調は下り坂に転じる。同じ年の11月には悪寒と発熱を訴えて夜間救急を受診。その後、自室で意識を失っているところを父親に発見された。細菌性肺炎との診断。通常は95以上を示す酸素飽和度も、90未満と厳しい数値に落ち込んだ。












