「治療をしなければ、余命は3年ほどです」

拓也さんは茨城県に生まれた。両親と、弟がひとり。闘病中、「小さいときは家族旅行とかいろんなイベントがあって、今思い出しても楽しかったよ」と振り返るほど、温かい家庭で育った。

穏やかで友だちも多く、年上の人間関係にも臆せず入っていく社交性がある青年だったと母親は目を細める。だがひとつだけ気がかりなことがあった。

「幼い頃から明らかに身体が弱いとは感じていました。たとえば、兄弟で同時に発熱しても、弟は案外けろっとしているのに、拓也はぐったりしてしまうんです。学生時代からすぐに高熱が出る体質でした」(拓也さんの母、以下同)

生前の拓也さん。子どもによく懐かれる青年だったという
生前の拓也さん。子どもによく懐かれる青年だったという
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社会人になってからも体調を崩しがちだった。40度の熱を出して早退、という日もしばしばあった。かかりつけの病院では扁桃腺の腫れを指摘されており、本人も家族もそれ以上は疑わずすごした。

26歳になったころ、40度の熱が数日おきに出た。さすがに異常を感じたが、地元の病院は「風邪ですね」を繰り返す。だが、たまたま出会ったひとりの医師が拓也さんの症状を疑った。その医師のおかげで、EBウイルス感染症の研究者である新井文子教授(聖マリアンナ医科大学)に繋がった。確定診断には半年あまりを要した。

「2022年の年末には、拓也本人には病名が告げられていたようですが、拓也はなかなか言いませんでした。私たちが新井先生のお話を聞けたのは、2023年1月になってからでした。『治療をしなければ、余命は3年ほどです』と告げられ、気持ちのやり場が見つかりませんでした」

筑波大学から聖マリアンナ医科大学へ搬送されるときの様子
筑波大学から聖マリアンナ医科大学へ搬送されるときの様子

慢性活動性EBウイルス感染症は、免疫機能にかかわる重篤な病気だ。通常はB細胞に感染するはずのEBウイルスがT細胞やNK細胞に感染し、異常増殖することで、発熱やリンパ節腫脹、肝脾腫などの症状を引き起こす。

だがこのウイルスは決して珍しいものではない。むしろ、日本人の9割以上が抗体を獲得しているとされる、極めて凡庸なウイルスだ。それが、取り返しのつかない暴走をする。

加えて日本においては、多くても年間10〜20名ほどしか発症しない、非常に希少な疾患だ【https://www.shouman.jp/disease/details/10_09_053/】。医療者における認知度でさえ低く、拓也さんの場合も、血液検査のたびに肝機能の数値が高いことが指摘されていたが、長い間、原因不明とされた。
 
慢性活動性EBウイルス感染症の治療は、現在、移植一択となる。移植前のハードルも多い。拓也さんの場合、投薬によってEBウイルスが検出されなくなるまで叩くことが目標とされた。

また、肝機能を正常値にすることも必須だ。早速、2023年1月からの入院で治療が開始された。さらに3月からは抗がん剤の投与を行い、4月から移植というステップに進んだ。病気そのものはがんと異なるが、治療は血液がんと同様だ。

「ドナーは若い男性が望ましいので、次男(拓也さんの弟)が選ばれました。拓也は移植の前処置によって免疫力が低下しているため、無菌室に移動していて、4月27日に弟の末梢血幹細胞を移植しました。拓也の身体のなかで新たな血液が作られるようにするためです」