「もって1年、悪ければ半年」の宣告を上回る1年9か月の闘病生活
――生前の叶井さんは「食事」と「仕事」を大変楽しみにしていた印象を受けます。そのうちの食事ですが、亡くなる前日の2月15日はいつも通りお刺身などを召し上がって、そのあと急変されますよね。
倉田真由美(以下同) はい、実はその日にも少しの後悔があって。食事が大好きだった夫は、コンビニで新発売になったホットスナックをとても楽しみにしていました。私は早速買いに行ったのですが、発売日直後で売り切れていたんです。それで通常の商品を買って、2月15日の昼に食べさせました。
しかしその日の夜に急変して、翌日に夫は亡くなってしまった。今思うと、あと何軒か回って食べさせてあげたかったなとは思いますね。
――「仕事」の旺盛ぶりも驚きました。退院して家に帰ってもご自身が取締役をされている映画配給会社にすぐに向かうなど、末期がん患者のイメージを覆す行動力をみせています。
本当に仕事も好きでした。キャラクターが立っていて顔も広かったからか、「若手が『お世話になりましたって言いたいので』って会いたがるんだよ」と困った顔もしていました。しんみりしてなにかを語るよりは、みんなで飲みの席でワイワイやるのが好きなタイプの人でしたね。
――医師には「もって1年、悪ければ半年」と言われたとのことですが、叶井さんは抗がん剤治療をせず余命宣告より遥かに長い1年9カ月を生きました。闘病生活のなかでよかったことはありますか。
夫を自宅で看取れたことです。現在、がんに罹患したほとんどの人が標準治療を受けます。それが決まったレールになっている節がありますよね。しかし残念ながら亡くなる場合、患者さんは病院で亡くなります。自由に外出することもできず、病室で、死ぬしかありません。その点、夫は好きな本に囲まれた見慣れた部屋で最期を迎えることができました。
一定数、「自宅で死にたい」と思っている人はいるはずで、そうした人たちに対して、「案外自宅でも看取ることができるよ」と言えるようになった経験は収穫だったと思います。
――ご著書『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』の巻頭にも書かれていますが、まさに標準治療を受けずに闘病した記録を残す意味があるわけですね。
夫がすい臓がんを宣告されたとき、あらゆる書籍や闘病ブログを読むなどして夫の“これから”を知ろうとしました。それらは抗がん剤を受けた人たちの話でした。自分の身体、自分の人生である以上、どう生きるかを納得するまで考えて決定するのは自分であるべきだと私は思います。その結果、標準治療を受けるという選択を私は否定しません。
現状は標準治療ありきで進んでいて、抗がん剤を使用しない選択がかなり奇異に感じられる状況ですが、使用しない選択をした者の家族として、選択肢を示せるのではないかと思っています。