「どうせ治りゃしないし、大して効きもしないのに」

戦争は始めるより止める方がはるかに難しい。ここ数年「始まった」戦争は数多いが、「終わった」のはアルメニアとアゼルバイジャンの紛争くらいか。これは援けてくれるはずのロシアが自国のことにかまけて放置し、アルメニアが一方的にやられて終わった。他の紛争は、当事者の両方に「後押し」がついていて、なかなかワンサイドゲームにはならない。旗色の悪い方も、降伏すると今までの犠牲が水泡に帰すと思ってできるだけ粘ろうとし、実際に支援によって粘れる。だから「損切り」ができない。

損切りができないのは「押している」方も同じである。それは見込み違いからだけではない。2024年6月、イスラエル軍の報道官がイスラム組織ハマスについて「ハマスは思想であり、完全に排除はできない」と述べ、壊滅は不可能という認識を示した。これに対し、イスラエル首相府が「軍は政府の方針に従え」と声明を出し、政権と軍との間で緊張が生じたと伝えられる。軍部は「勝てない」と分かっていて、ここらが潮時だと公言しているのに、「政治的な判断」が優先されてしまう。

現場感覚は実際に戦ったプロにしか身につかないらしく、軍人の方が冷静に勝算を判断できる、というのは珍しくない。山本五十六は対米開戦して「暴れられるのは半年か1年」と見通していたし、ブッシュ政権の国務長官だったパウエル将軍はベトナム戦争の経験から「軍隊は抑制的に使用すべきである。ただやるなら国際的協調を得た上で圧倒的な規模で行うべきである」と主張していたそうだ。この考えは、「戦争は、必ず勝つものしかやらない」孫子と通じるものがある。さらに、フィリピン大統領になったラモス将軍は、イスラムゲリラとの停戦合意を取り付けて経済政策を優先した。一方で、「勝てる」「勝たねばならない」と泥沼に嵌るのは大抵、文民政府である。

私が国立がんセンター病院(当時)に研修に行ったのは1987年12月だが、当時カナダから、「肺癌の患者には、抗癌剤治療をした方が良いか、それとも最善の緩和医療(ベスト・サポーティブ・ケア・BSC)をした方が良いか」という比較研究の論文が出たばかりで、みんなそのデータの話で持ちきりだった。BSCとはつまり、「癌をやっつけよう、抑えよう」という治療を一切せずに、対症療法に徹するのである。

結果は、ごくわずかながら化学療法により生存期間が延びる、というものだったが、そもそもそういう「研究」がされていること自体に驚いた。それまでいた大学病院では、当たり前のように化学療法が行われていた。「何もしないわけにはいかない」というのが暗黙の大前提であり、誰も「何もしないで諦める」なんて思いもよらなかった。がんセンターで「そういう治療(戦い)ばかりやっているプロたち」だけが、「そもそもやった方が良いのか」なんて考えていた。

画像はイメージです(写真/Shutterstock)
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上司の一人は、「どうして世の中の医者は、こんな治療やりたがるかなあ。どうせ治りゃしないし、大して効きもしないのに」と首を捻っていた。だが教科書や診療ガイドラインには滅多に、「無理だから諦めろ」なんて書いてない。何か「これをやれ」と書いてある。その「治療法」は、ベストといえばベストだろうが、あくまでも「他に比べて」の相対的なものである。だが経験の乏しい医者は「やらなければいけない」規則のように思い込む。

そして実際問題として、患者やその家族に対して「もうダメだから諦めよう」と説得するのは、交戦中の兵士を撤退させ、敵を倒せと熱狂する市民を落ち着かせるくらいに難しい。かつ、「何もしない」となったら、病院は一文も儲からない。戦争をやっていれば戦時経済がなんとか回るのと同様である。新薬が出れば、使わなければいけない気になる。あんなデータではどのみち無理だと「知って」いるのはプロだけである。これまた、「ゲームチェンジャー」と期待された新兵器が期待外れに終わるのと変わらない。