「平石の監督からの評価は、もう下がってんだよ!」
怒りが収まらない様子で、そこから何十分くらいだろうか、立ったまま野村監督の説教を受け続けた。コーチたちは誰も助けに来てくれなかった。
その様子はテレビ中継のカメラに映されていたようで、父に「お前、だいぶ立たされてたけど大丈夫だったか?」と心配されたくらいだ。
試合の翌日。宿泊先のホテルを出発する前に行われるヘッドコーチと担当コーチとの野手ミーティングでのこと。武司さんが言った。
「昨日の平石の件なんですけど」代打に立つまでのコーチとのやり取りから野村監督に説教されるまでの一部始終をベンチで見ていた武司さんが聞いてくれた。
「あのあと誰かコーチが平石を庇ってくれたんですか?なんであのときコーチは誰も庇わなかったんですか?『初球を打っていい』って言ったでしょ。平石はベンチの指示に従ったじゃないですか。それで評価が下がるって変でしょ。ねぇ、コーチたち!なんでなんも言わないんですか?なんとも思ってないんですか?」
コーチは「すまなかった」と頭を下げた。
「すまんかった、じゃないんですよ!平石の監督からの評価は、もう下がってんだよ!」
自分の評価は人がするものと、野村監督は言った。僕は野村監督からは評価されなかったかもしれないが、武司さんをはじめとするチームメイトには恵まれた。あの頃は、正直頭がいっぱいいっぱいでおかしくなりそうだった。
「どこかで変えないと、精神的にもきつい」
そんなとき、試合前の通路で野村監督に出くわした。僕は、意を決して嘆願した。
「監督!僕は打ち方を変えたいです。変える気はあるんです。打ち方を教えてください。お願いします!」
野村監督の心にはまったく響かなかった。
「なんでワシがお前に教えなあかんのや。バッティングコーチに聞け」
歩き出す野村監督のあとを追い、食い下がる。
「お願いします!本当に打ち方を変えたいんです」
「わしゃ知らん。誰がお前なんかに教えるか」
トイレまで食い下がったが、ついに野村監督が首を縦に振ることはなかった。
野村監督はマスコミなどを使って人心掌握をするタイプだとは知っていたし、「無視・称賛・非難」というコミュニケーション術を持つように、相手を突き放すところから関係を構築していくような側面も実際にあったと思う。
しかし、それだけでは人間は心を突き動かされない。個人的な好みはあるにせよ、まずは相手と向き合わなければ何も始まらない。少なくとも、僕はそうだった。
残念だけど、野村監督との4年間は「後悔しかない」。
実は、この言葉をコーチたちにも告げたことがあった。多くのコーチが、野村監督の言うことを選手に実践させようとしていた。なのに、それをやって結果が出ないと、誰も守ってくれなかった。真実はわからない、でも選手である僕にはそう映っていた。
僕と野村監督の距離は、最後の最後まで離れたままだった。
でも、嘘でもなんでもなく、指導者としてはこの全ての経験が本当に勉強になった。
文/平石洋介












