「キサマ、コラァ! 誰が初球打て言うたんじゃ!」

もうひとつの「反面教師」とは、やはり「人」と「人」の関係を築けなかったことが全てだと思う。

6月。僕はまずまずの状態をキープしていた。セ・パ交流戦では21打数8安打、打率3割8分1厘と出場機会は多くなくても結果は出てきていたし、交流戦が終わってからも調子は継続できていた。

27日のオリックス・バファローズ戦はベンチスタートだったけれど、7回に代打で出場、凡打に倒れるもそのままライトの守備に就き、迎えた2度目の打席で、鴨志田貴司からライトスタンドへホームランを打った。

プロとして最初で最後となる一発は、完璧な当たりだった。

この時期は自信を持って打席に立てていたし、凡打だったとしても納得できるバッティングが多かった。

なんとかこの結果を続けなければ……。再び訪れた転機は、珍しく野村監督にメディアを通して褒められた翌日だった。

あれは、7月3日の埼玉西武ライオンズ戦だった。「今、平石が一番、バットが振れている」。そう言われて1番でスタメン出場した僕は、相手エースの涌井秀章から4打数ノーヒットに抑え込まれた。そして、野村監督に言われる。

「お前、いつまでその打ち方するんや」

こうなると止まらない。会うたびに辛辣な言葉を浴び続けた。もちろん、改善をしようとはしている、それでもできないのだ。

楽天監督時代の野村克也氏(写真/共同通信社)
楽天監督時代の野村克也氏(写真/共同通信社)
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悪いことは重なる。

21日。この日は福岡ヤフードーム(現:みずほPayPayドーム福岡)でのホークス戦が開催されることから、地元の大分から家族が観戦に来てくれていた。僕はスタメンではなかったが、出場する機会があれば何とかいい姿を見せたいと思っていた。

出番は5回。先頭バッターで代打として呼ばれた。

スコアは1対4。当時のイーグルスは、「ビハインド時の試合中盤以降、クリーンアップ以外はファーストストライクを見逃すように」という決まり事があった。

試合中盤という基準はアバウトなものだったから、打席に入る前にコーチに確認をした。

「ファーストストライクは待ったほうがいいですよね?」

「なんで?まだ6回じゃないだろ。打てると思ったら行けよ」

コーチたちはそう言った。

「本当にいいんですか?初球で凡打になったら(流れ的に)痛くないですか?」

「いいから行けよ」

そして藤岡好明が投じた、ストライクゾーンに入ってくる甘いストレートを思い切り振り抜いた。打球が一、二塁間へ飛ぶ。一瞬、ヒットになるかと思ったがファーストを守る小久保裕紀さんがスライディングキャッチで打球を捌き、僕はファーストゴロに倒れた。

少し詰まったか……あれこれ考えながらベンチに戻ると、野村さんに言われた。

「キサマ、コラァ! 誰が初球打て言うたんじゃ!」