両親の泥沼離婚裁判、「母とは違う人生を歩みたい」
原口さんが何度も結婚を繰り返す背景には、彼女自身の半生も大きく関わっていた。
「両親は物心ついたときからずっと不仲で、一緒に笑い合って話している姿を一度も見たことがない。両親が離婚してるからこそ、自身の人生のチャレンジとして結婚したかったんです」
原口さんは父が弁護士、母が薬剤師の共働き家庭で育った。夫婦仲に決定的な亀裂が入ったのは、父方の病身の祖母を実家で引き取ることになったとき。母と祖母の関係性のなかで、父が「自分の母を蔑ろにされた」と感じたことが大きかった。その亀裂は深まるばかりで、父が家に帰ることはほとんどなくなり、外で女性を作って遊んでいた。
原口さんが14歳の夏、父から「交際している女性との間に子どもができた」と報告された。
母は大パニックに陥り、そこから毎日、原口さんは母の“カウンセリング”役を務めた。夕食後、延々と繰り返される父へのさめざめとした愚痴と恨み節を聞かされてきたことで、父に対しては裁判官的な立場をとるようになっていた。
原口さんが20歳のときに父が離婚調停を申し立て、別居中の5年間で泥沼の離婚訴訟が繰り広げられ、最終的には和解という形で離婚が成立した。
父が弁護士だったこともあったが、両親の離婚訴訟で法律用語などを見聞きするようになり、自然な流れで弁護士の道を志した原口さん。
「母を反面教師にして、母とは違う人生を歩みたいと強く思いました。だからこそ私は何度も結婚してるんだと思います。母は離婚後は誰とも再婚せずに一人だったので」