ゴージャス松野が明かす泥沼離婚騒動

「生き地獄を味わいましたね」

と、話し始めたのはゴージャス松野。1997年、沢田亜矢子との泥沼離婚騒動で、一躍時の人となり、“暴力夫”“女性の敵”として大バッシングの嵐が吹き荒れた。

「ことの発端は夫婦関係のもつれでした。先方が離婚調停を申し立てた約2か月後に、例の会見が開かれました。私にとっては寝耳に水で。私の暴力や個人事務所のお金の横領という“花火”を打ち上げられまして。

相手は女優さんですし、私は一介のマネージャー。有名女優があれだけの行動を起こしたわけですから、マスコミも先方を擁護する報道一色でした」

当時はSNSもない時代。松野が反論する手段は会見を開くしかなかった。

「ワイドショーのデスクから“このまま黙っていると不利になるから、言いたいことあるならすぐ会見をやったほうがいい”と電話があり。先方の会見の詳細も把握しないまま、急遽、夜中に近所の公園で。とはいえ突然すぎて、しどろもどろでしたね」

そして、翌朝のスポーツ紙の一面には“暴力夫”の文字が踊り、ワイドショーでは針のむしろ。

「その後も、やってくる取材に対応するほどに、何を言っても悪いことばっかり報道されて。マネージャーとして芸能界のノウハウは熟知してるつもりでしたが、真綿で首を締められるというか、もがくほどに不利な状況に。コメンテーターも“気持ち悪い”と言い出しますし(苦笑)。

あの頃は松野行秀でしたが、作られた人物像に反論したところで、結局はメディアの思惑通りに全部塗り替えられて。今と違って、コンプライアンスも何もない時代でしたから」

ワイドショーでの“祭り”は3か月ほど続いた。失業を余儀なくされたが、アルバイトをするわけにもいかない状況だった。

「みなさんがテレビ画面で観る以上に、メンタル的にはかなり追い込まれましたし、お金も底を尽きました」