少子化対策とリプロの権利は対立するのか?
日本では「少子化だから中絶はなくすべき」という短絡的な主張がしばしば見られる。2005年4月21日付『毎日新聞』社説は「中絶の多さ」を懸念し、「大幅削減できれば、少子化問題も一気に解決する」と論じた。中絶を減らせば出生数が増えるという素朴な発想である。
しかし、この種の主張には重大な問題がある。第一に、女性個人の置かれた状況や意思を無視し、子どもを産むことを強制する人権侵害につながりかねない。国連の基準ではすでに、「望まない妊娠」の継続と出産を強制させられることは虐待や拷問だと位置づけられている。
第二に、「産まない選択をする女性が増えたから少子化が進んだ」という主張は、少子化の責任を女性に押しつけるものである。
出生率低下の主な要因は、政府が専門家の提言を無視し、場当たり的で効果の乏しい対策を繰り返す一方で、子育てしやすい社会環境の構築を怠ってきたことにある。責められるべきは女性ではなく、政府の不十分な対応である。
第三に、現代の日本における中絶の必要性を理解する必要がある。現代女性の月経回数は急増しており、「望まない妊娠」のリスクも高まっている。十分な性教育も行われず、避妊に関する情報や手段も不足している日本では、「望まない妊娠」は当事者の責任というよりも社会が生み出している構造的な問題なのである。
むしろ、「リプロの権利を尊重しなければ、人々が安心して次世代を迎えることはできない」という視点こそ、少子化対策の根本に据えられるべきである。
女性たちが避妊・妊娠・出産・育児について主体的に選択できる社会では、結果として子どもを持つことを考える人が増える可能性が高い。フランスやスウェーデンなど、2000年代に出生率を1.8〜2.0程度まで回復させた国々は、「産む権利」だけでなく「産まない権利」も含めたリプロの権利を制度的に保障してきた。
翻って、日本政府の女性観には、戦前からの価値観がなお色濃く残っている。女性を男性と対等な存在と見なさず、安価な労働力として搾取し、なおかつ「産み育てる」役割まで担わせようとする姿勢では、女性たちは疲弊するばかりで、少子化も解決できない。
リプロの権利の保障こそが、持続可能な社会への道なのである。
注
*1 齊藤英和「『不妊に悩む人多い』日本社会が見過ごす根本原因 知っているようで知らない『妊娠適齢期』の真実」(「東洋経済オンライン」、2022年3月31日)https://toyokeizai.net/articles/-/541409
*2 “Policy responses to low fertility: How effective are they?”, May 2019, UNFPA
*3 「費用対効果評価が低いと判断された医薬品・医療機器、『費用対効果評価が対照技術と等しくなる』まで価格を下げるべきか―中医協」(「Gem Med」、2023年10月6日)https://gemmed.ghc-j.com/?p=56721
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