「歴史は国民の物語だ。フィクションでかまわない」と言う議員
前川 官僚時代、私は自民党の下でずっと仕事をしてきましたが、自民党には「歴史は科学だ」と考える人があまりいませんでした。でも歴史というのは、歴史学という科学で解き明かすべきものだと私は思うし、科学が進んでいけば、同じ事象を扱った歴史でも、塗り替えられることはあるし、歴史の教科書だって書き換えられることがあるんですが、でもそれは様々な資料に当たりつつ、ロジカルに検証していって見出していくということだと思います。
しかし「歴史は国民の物語だ。だからフィクションでかまわないんだ」というような言い方をする人たちが政権与党である自民党内にいたわけです。そういう人たちには話が通じません。
少なくとも歴史学者と呼ばれる人たちの間では一定の作法があると思いますが、政治家には話の通じない人がたくさんいる。そして参政党はそんな人ばかりが集まって作ったような政党です。歴史だけの問題じゃなく、陰謀論みたいなものも、いろいろちりばめられている。根拠のないことをたくさん主張して、それで人々の支持を集めている政党なので、ものすごく危ないと思います。
これは学校教育にも責任があると思います。「事実と論理を理性でちゃんと考えて組み立てていき、結論を出していく」というような、「科学の作法」を身につけるのが学校教育の大事な目的だと思うのですが、それがまるでできていない人たちが集まってこういう政党を作ってしまった。
旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)をはじめとするカルトも全く反科学ですが、カルトが広がっているのと根っこが同じなのかなという気がします。カルトにハマった人には全然話が通じません。
そして戦時中の日本は国全体がカルト教団みたいなものだった。理性を保っている人もいたでしょうが、その人たちは思っていることを話すと「非国民」と言われて迫害されるから、黙っているしかなかった。抵抗した人もいるけれど、治安維持法違反とかで逮捕される。それで実際に多くの国民がカルトに巻き込まれた。
私の父は98歳でまだ存命なんですが、戦時中は旧制中学の生徒でした。旧制中学の4、5年生のときにはずっと名古屋の軍需工場で働かされて、空襲を受けて仲間が何人か死んだりしています。今はまともな判断のできる人ですけど「中学生の頃は、絶対日本は勝つと信じていた」と言っていますし、そう信じていた国民は非常に多かったと思います。
「日本は神の国だから必ず神風が吹く」などと教え込まれて、全く根拠のないことを信じ込んでいた。だから日本中が1つのカルトになっていた。
そこから脱却する、脱カルトというのは、敗戦でいや応なしに経験せざるをえなかったと思うんですが、多くの人は、そこで憑き物が取れたようにカルトから脱したのかもしれません。
しかし日本の支配層の中にはカルトを引きずったままの人が相当残った。これはアメリカの占領政策もあるでしょう。冷戦構造が強まっていく中で、民主化から反共へと占領政策が変わり、共産主義に対して「日本を反共のとりでにする」ということで、古い日本のカルト国家を率いたような人たちが生き残ってしまった。昔の軍人や東条内閣の閣僚や官僚だった人たちが日本の支配層の中に残ってしまった。
日本の戦後の不幸は、そういう戦前を引きずったところにあるんじゃないかと思います。何よりも「国体が護持された」というのが……。終戦の詔勅の中で昭和天皇が「国体を護持し得て」と言っていますよね。ポツダム宣言を受諾するかどうかという際にも、さんざん議論したのは国体が護持できるかどうかです。だから戦後の出発点からして、国体が護持されたことになってしまっている。「日本は神の国だ」という全く根拠のない、神話に根拠を持つような観念、国体思想が生き延びる余地ができてしまった。
沖縄戦では明らかに、「日本の軍隊は人を守るためではなくて国体を守るためにある」と。だから、何のためらいもなく人を犠牲にした。それがハッキリ出ています。
この本の中でも林さんがお書きになっていますが、今、日本には軍はないはずなんだけども、陸海空軍に限りなく近い自衛隊がある。その自衛隊が「本当に日本の人たちを守るためにあるのか?」というのは、本当に突きつめていかなきゃいけない問いだと思います。「あなたたちは本当に人を守るためにいるのか? 人を犠牲にして国を守るなどと考えていないか?」と。