歴史教育や道徳教育に口を出してきた自民党のタカ派
前川 私は38年間国家公務員として、国の論理に縛られて生きてきましたが、8年前にそこから解放されたので言いたいことを言って暮らしています。でも国家公務員時代は結局、上の権力に従わざるをえなかった。
自民党を中心とする政治権力です。特に「文教族」と言われた議員たちは安倍派が多い。森喜朗さん以来ずっと、自民党内でもタカ派と呼ばれている人たちが文教族で、タカ派の人ほど教育政策に関心を持つ。特に歴史教育と道徳教育にものすごく関心を持って口を出そうとする。その人たちがずっと権力を握ってきていて、私はその下で仕事をしていたものですから、心ならずもやらざるをえない仕事がありました。
そのくびきから解放されると本来の人間に戻れるわけで、私も今は普通の人間に戻っていると思うんですけど、組織の中にいる間は、まともな人間性を保つのがなかなか難しかった。特に第二次安倍政権ができてから、バランスを保つために始めたのがツイッター(現・Ⅹ)です。匿名でいろいろつぶやいていたんですが、自分の上司に当たる大臣や大臣政務官らを批判するようなことを書いていました。そうやって精神のバランスを保つことが必要だったんです。
そうした権力がなかなか崩壊しなかった体制が、参院選が終わり、ここへきてちょっと崩壊しかかっていますが、どっちのほうに崩壊するかが問題ですね。今、参政党などというとんでもないウルトラ・ライト(極右)政党が出てきましたから、それがもし政権に参加するようなことがあれば、もっとひどいことになると思っています。
ファクトや真っ当な議論を重視しない傾向
林 たしかにそうですね。以前の本書をめぐる対談でも少し触れましたが、これまでは、歴史的な事実を否定しようとする人々も、それなりに勉強して資料や文献を調べ、根拠を示して議論してきていた。それに対して我々は「いや、その資料の読み方は間違っている」とか「もっとこういう資料があるのに無視している」と反論したりして、そこで議論が成り立ちえたんです。
ところが今はもう、この前の参政党の神谷代表の発言や、自民党の西田昌司議員の発言にしても、根拠は何も示されないんです。ただ「自分はこう思っている」ということだけボンと出して、それが変に支持を得てしまう。それでは議論にならないんです。
民主主義は「考え方が違っても、対話が成り立ちえる」ということが一番の基本だと私は思っています。ですから、研究者の中で考え方が違う人はいますが、たとえば資料に基づいて議論を組み立てる人とは話ができる。もちろん考え方が違えば、解釈において対立することはありますが、対話が成り立つんです。しかし今はもう「自分はこう思う」というだけで、何の根拠も示さない。これはもう民主主義じゃないです。
トランプ現象などもそうだと思います。「事実はこうだ」という批判をしても全然通じない。これが一番怖い。これに対してどう対処すればいいのか? 研究者の議論ではちょっと対抗できなくなっている。そういうことに対して、社会全体としてどう考え、どう対処するのか。これはたとえばインターネットを含めたリテラシーの問題にも関わってくるんですが、その辺りは私もどう対処できるかわからないので……。
前川 私もそこは本当に心配しています。参政党が大きく議席数を増やしてしまったのは本当に怖いです。維新が出てきたときに「ひどい党が出てきた」と思いましたが、「まだ維新のほうがマシだ」と思えるような党が現れるとは……。
以前維新に所属していた梅村みずほ(*)という人が今度、参政党から立候補して当選してしまいました。その梅村議員は先日テレビの討論番組に出演した際、共産党の山添拓議員に、選挙期間中の梅村氏らの外国人をめぐる主張の誤りをファクトを挙げて指摘されると、「選挙で民意を得たのは私たちだ」と開き直るんです。
要するに、事実でないことを主張して民意を誘導したのに「有権者の票をたくさん得たのは自分たちだ」と。これは全然反論になっていません。要するに、「数は力であり、力は正義だ」という言い方ですよね。「選挙で勝ったんだから自分たちのほうが正しい」という言い方、これがまかり通るのは本当に怖いと思います。
*梅村議員は日本維新の会所属時の2023年5月の参院本会議で、21年に、入管施設で病気になって体調が最悪なのにもかかわらず入院させてもらえずに死亡したスリランカ人女性ウィシュマさんについて、「彼女が亡くなったのは支援者のせいだ」とする主旨の発言をし、党員資格停止6カ月の処分を受けて、維新を離党し、参政党に移籍。今回の参院選では参政党から立候補して当選。