生前の猪木が語った「バカバカしい北朝鮮制裁」
猪木は17歳で力道山にスカウトされ、その付き人を3年間務める中で、恩師が朝鮮人として日本でどれだけの苦労を強いられ、いかに祖国の統一を願っていたかを知っていた。
1994年に力道山の祖国に初訪問を果たして以来、20回を超える訪朝を積み重ねた猪木は、日朝の国交正常化を真剣に考えるようになった。以下は本書に遺言のように記された政治家としての言葉だ。
「この祭典を機に、日本と朝鮮半島をつなぐことが自分の宿命のように思えて来た。政府、党の高官の人たちと酒を酌み交わしながら、食事をしながらざっくばらんに話を重ねてきたし、パイプを作ってこられた」
北朝鮮政府に制裁を課す日本政府は、訪朝を繰り返す猪木に税関を通じた嫌がらせを繰り返す。羽田空港に帰国すると、力道山と猪木の顔が肖像化された切手を没収した。理由は「日本の風紀を乱す」からだという。
猪木は、「祖国訪問した朝鮮学校生の生徒の土産さえ取り上げるようなバカバカしいことを『制裁』として成り立たせているこんな政権は信頼できない」と怒りを露わにする。
「日本政府も平和外交を標榜しているのなら、平和に向けた知恵を絞らなくてはいけない。例えば、拉致問題を解決するまでは国交正常化交渉をしないというけれど、この言葉も矛盾している。話し合いをしなければ拉致問題も解決できるはずがないからだ。こんな矛盾や不条理がまかり通っているのに、気づく人も少ない」
猪木には、国の硬直した外交姿勢をぶち破り、突破した実績がある。湾岸戦争直前にあったイラクで在留日本人が人質状態に置かれた中、日本政府の反対を押し切って、単身でバグダッドに乗り込んでスポーツの力で解放を成し遂げたのである。
この時、外務省は猪木の活動に妨害さえ加えている。議員として外交に関わった経験から、相手の国を知り、懐へ飛び込むことで事態を変えることの重要性を知ったという猪木にすれば、「バカバカしい北朝鮮制裁」から硬直して動こうとしない日本の対朝外交は歯がゆくて仕方がなかったのだ。
「燃える闘魂」が存命ならば、現在の排外主義を煽る政党の出現をどう見ただろうか。そう思わせる猪木のモノローグであった。
力道山を祖として、大木金太郎、長州力、前田日明、星野勘太郎、木村健吾、近年ではジェイク・リー、日本のプロレスは一世、二世、三世の世代に渡るまで在日コリアンのレスラーによって支えられて来たと言っても過言ではない。