祖父は朝鮮労働党の地方組織幹部、父は朝鮮人民軍関係の重職
――北朝鮮ではどのような生活でしたか?
文蓮姫(以下、同) 私は東部の元山で1991年に生まれました。父方の祖父は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の創成期の幹部で、(1959年に始まった)在日朝鮮人の「帰国事業」を率いる形で北朝鮮へ渡り、望んで暮らした元山で朝鮮労働党の地方組織幹部も務めました。
父も朝鮮人民軍関係の重職にいたので、日本や韓国の生活レベルとは比べ物になりませんが、それでも食事に困るようなことはなく、中学生の途中で平壌に引越し大学も卒業しました。
でも祖父は北朝鮮が想像していた国と違ってストレスをためたのか早く亡くなり、父もよく北朝鮮の国に対して「くそ」と悪態をついていました。その時だけは日本語でした。
――北朝鮮で在日出身のかたは苦労をされたと聞きますが。
在日出身者は北朝鮮で出身が悪いとされ、地方の厳しい職場に配属され苦しい生活をした人がほとんどで、私の家族のような人は数パーセントだと思います。
元山ではピアノも習いました。一緒に通った子のお母さんがアメリカとか韓国の映画のDVDを売って金儲けをしたという罪で私が中学生の時に公開処刑にされ、それを見学させられました。
銃殺刑で、一発でも十分なのに何発も…。付き合いのあった人に死刑を見せて恐怖を与える目的だったと思います。でも私は殺すほどのことなのかと思って、その後、逆に韓国ドラマを見るようになりました。その前も家族で『タイタニック』を見たことはありましたが。
――それが脱北の理由ですか?
いえ。ショックでしたがそれは脱北を考える10年ほど前のことで、韓国ドラマを見ることも怖いと思いませんでした。当時はDVDなどの販売は死刑でしたが、観ることも厳罰になったのは私が高校生になったころだったと思います。