マネージャーのクレジットカードで生きながらえる日々
結成からデビューまでは順調に来ていたキッス。しかし、ここからが本当の苦難の日々の始まりとなった。
アルバムの内容に自信のあったメンバーとレーベルは、大々的にプロモーション・ツアーを展開したが、アルバムの売れ行きは一向に伸びず、全米チャート87位という結果に終ってしまう。
続く2ndアルバムと3rdアルバムもセールス的には振るわず、彼らはマネージャーのクレジットカードで、かろうじて生きながらえるという日々を過ごすのだった。
加えて、所属するカサブランカ・レコードも破産寸前にまで追い込まれていた。絶対に売れるはずだと確信して100万枚以上もプレスした、ジョニー・カーソンというコメディアンの2枚組レコードが全く売れず、莫大な負債を抱えてしまったのだ。
売れないバンドと破産寸前のレーベル。窮地に追い込まれた両者に一筋の光明が差したのは、1975年春のこと。
4月にシングルカットされた『ロックン・ロール・オール・ナイト』が、デトロイトのラジオ局で火がついて、連日かかっているという情報が入ってきた。
かねてからライヴ・アルバムを出したいと考えていたメンバーとレーベルは、ここで勝負に出ることにした。
予定していたツアーをキャンセルして、急遽デトロイトでのコンサートを開催し、それをライヴ・アルバムにすることを決めたのだ。
彼らの目指すライヴ・アルバムには、大観衆による熱狂が必要不可欠であり、デトロイトでならそれを得られるかもしれなかった。
そして1975年5月16日。1万人以上を収容できるデトロイトのコボ・ホールには、大勢の観客が詰めかけ、ステージにキッスが現れると、それまでメンバーが経験したことがないほどの歓声が上がった。

キッスの2枚組ライヴ・アルバム『地獄の狂獣 キッス・ライヴ(原題/Alive!)』は、9月にリリースされると瞬く間に売り上げを伸ばし、全米チャート9位まで上昇。そこから110週にもわたってチャートインし続けた。
キッスは遂に人気バンドとしての地位を確立し、カサブランカ・レコードも経営を立て直すことに成功。その後、キッスは4作連続でプラチナディスクを獲得するという、驚異的な快進撃を展開していったのである。
文/TAP the POP
参考文献
『ポール・スタンレー自伝 モンスター 仮面の告白』(シンコーミュージック)
『KISS AND MAKE‐UP―ジーン・シモンズ自伝』(シンコーミュージック)