無理やり結婚し、神経衰弱に…
その頃、アントニーナ・ミリューコヴァという女性から愛の告白の手紙を受け取るのです。結婚を決意してから1年と少しが過ぎた頃でした。
返事を躊躇するチャイコフスキーのもとには、彼女からの手紙が何通も続けて送られてきます。しまいには、会ってくれなければ自殺するという脅しの手紙まで送られてくるのです。
このような手紙からは、すでにトラブルの匂いが感じられますが、チャイコフスキーは本当に自殺されたら困ると思ったのでしょう、彼女のもとを訪れ、正直に「愛することはできない」と告げています。
これでこの関係は終わったかのように見えましたが、続きがありました。
チャイコフスキーは「交響曲第4番」のスケッチが一段落すると、その関心は次のオペラ「エフゲニー・オネーギン」に向かっていきました。
これはなかなかひどい話で、主人公のタチヤーナがオネーギンに無慈悲にも拒絶されてしまう物語です。オペラを見ていると、タチヤーナが心からかわいそうになってしまいます。
この物語に影響を受けたチャイコフスキーは、自分が振ったアントニーナがかわいそうになってしまいます。そして、なんと一週間も経たないうちに自ら結婚を申し込んでしまうのです。
結婚の条件は、二人の間で肉体関係を持たないことでした。
こうして37歳になる年の7月、チャイコフスキーはアントニーナと結婚するのですが、結婚生活は想像よりもはるかに大きな苦痛を伴うものでした。
彼は、異性との生活によるストレスに耐えられなくなり、すぐさま妻から逃れてカーメンカに行きます。この時この地で「交響曲第4番」や「エフゲニー・オネーギン」が書かれています。
しかし、夏が終わるとモスクワ音楽院での授業が始まるため、妻のいるモスクワに戻らざるを得ません。
結局、チャイコフスキーはそのストレスに耐えられなくなって、自殺を試みます。が、それも失敗に終わります。
最終的には、知り合いに緊急の呼び出しを工作してもらい、サンクトペテルブルクへと避難します。そこに到着したチャイコフスキーは完全な神経衰弱の状態でした。医師は発狂の危険性があると判断し、妻と会わないようすすめます。
この診断を受けてチャイコフスキーの弟が別居の手筈を整え、なんとかチャイコフスキーは回復の兆しを見せ始めるのです(この間しばらくチャイコフスキーは働くこともできませんでしたが、音楽院から1学期分の給料をもらえることになり、さらにメック夫人からも経済的な援助を受けています)。