同性愛者としてのストレス、結婚の決意
30代の後半になると、チャイコフスキーの心は再び不安定な状態になっていきます。彼は自分が同性愛者であることで常に大きなストレスを抱えていました。いつか自分が同性愛者であることが社会にばれてしまうのではないかと、怖れを抱いていたのです。
当然のことながら、男性と関係を築くこともできずにいました。そうした性的な欲求が満たされないことも、彼にとって大きなストレスになっていました。
そのためチャイコフスキーは、自暴自棄になっていきました。そして、世間の疑いの目から逃れるために、重大な決心をします。結婚です。36歳になる年に、その決意を明らかにし、実際に彼はその翌年には結婚するのです。
結婚の決意をしてからチャイコフスキーは、二人の重要な人物と出会っています。
一人は文豪トルストイです。トルストイはチャイコフスキーの「弦楽四重奏曲」を聴き、深く感動していました。そして彼にいくつかの民謡を提供し、チャイコフスキーもそれを用いることを約束しています。
もう一人は、ナデージダ・フォン・メック夫人です。メック夫人は分かりやすく言うと、チャイコフスキーのパトロンとなった人物で、14年にわたって彼に資金援助を続けました。
この二人には共通点がありました。異性に対して強い嫌悪感を抱いているという点です。
メック夫人は、夫が亡くなったことでようやく夫の性的な欲求から解放され、ほっとしていました。そして、チャイコフスキーの音楽を聴くことで精神的に満たされていました。
メック夫人とチャイコフスキーは、直接会うことはほとんどなく、文通によってその想いを打ち明ける仲となっていました。そこには性別を超えた深い友情と愛情がありました。残された手紙の数は1000通を超え、そこではそれぞれの想いが綴られています。
このような出会いの後で、チャイコフスキーは「交響曲第4番」に取り組んでいきました。