自尊心が高く、雇われ音楽家からフリーへ
26歳となったモーツァルトは、再びウィーンにやってきます。
その時モーツァルトは、ちょうどウィーンに滞在していたコロレド大司教に、その側近たちと共に滞在するように命じられます。
当時のモーツァルトのテーブルの位置は、近侍よりも下、料理人よりも上というものでした。こうした扱いは、それまで皇帝や教皇をはじめとする貴族とも謁見していたモーツァルトにとって屈辱以外の何ものでもありません。
さらに演奏会で報酬を得ることを許さない大司教の方針にも怒りが溜まっていました。仮に演奏での報酬が許可されていたら、ザルツブルクでの年俸の約2倍を稼ぐことができたはずだったからです。
その結果、大司教と激しい言い争いになり、モーツァルトは解雇を願い出ます。記録によると大司教もこの時、聖職者とは思えないほどの罵詈雑言を浴びせたそうです。
争いの後、モーツァルトはザルツブルクでの奉公から解任され、ウィーンでフリーの音楽家として生計を立てていくことを決意します。
音楽の歴史において、音楽家が宮廷や教会に仕えて働くのは当たり前のことでした。そうした職に就かずにフリーランスとして仕事をしたという点で、モーツァルトは現在に通じる音楽家のモデルを示したという見方もあるかもしれません。
しかし忘れてはならないのは、モーツァルトは定職を得ることができず、仕方なくフリーランスとして働かざるを得なかったということです。
コロレド大司教の下で仕事を続けるには自尊心が強すぎ、雇う側からは警戒されることにもなりました。若きモーツァルトは、フリーランスになりながらも常に宮廷楽長のような名誉ある職に就くことを夢見ていたのです。
文/車田和寿













