「世間を物乞いのように渡り歩く」5歳から神童と呼ばれたモーツァルトが就職できなかったまさかのワケ
「神童」と称されたモーツァルト。その幼少期は旅ばかりの生活だったという。7歳でヨーロッパへと旅立ち、王侯貴族の前で演奏を重ねながら、音楽家としての素地を築いていったモーツァルトだったが、次第に雇われ音楽家としてのキャリアに苦悩するように……。
その生涯を『涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉
すばらしいクラシック音楽 #1
自尊心が高く、雇われ音楽家からフリーへ
26歳となったモーツァルトは、再びウィーンにやってきます。
その時モーツァルトは、ちょうどウィーンに滞在していたコロレド大司教に、その側近たちと共に滞在するように命じられます。
当時のモーツァルトのテーブルの位置は、近侍よりも下、料理人よりも上というものでした。こうした扱いは、それまで皇帝や教皇をはじめとする貴族とも謁見していたモーツァルトにとって屈辱以外の何ものでもありません。
さらに演奏会で報酬を得ることを許さない大司教の方針にも怒りが溜まっていました。仮に演奏での報酬が許可されていたら、ザルツブルクでの年俸の約2倍を稼ぐことができたはずだったからです。
その結果、大司教と激しい言い争いになり、モーツァルトは解雇を願い出ます。記録によると大司教もこの時、聖職者とは思えないほどの罵詈雑言を浴びせたそうです。
争いの後、モーツァルトはザルツブルクでの奉公から解任され、ウィーンでフリーの音楽家として生計を立てていくことを決意します。
コロレド大司教 画像/Wikimedia Commons
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音楽の歴史において、音楽家が宮廷や教会に仕えて働くのは当たり前のことでした。そうした職に就かずにフリーランスとして仕事をしたという点で、モーツァルトは現在に通じる音楽家のモデルを示したという見方もあるかもしれません。
しかし忘れてはならないのは、モーツァルトは定職を得ることができず、仕方なくフリーランスとして働かざるを得なかったということです。
コロレド大司教の下で仕事を続けるには自尊心が強すぎ、雇う側からは警戒されることにもなりました。若きモーツァルトは、フリーランスになりながらも常に宮廷楽長のような名誉ある職に就くことを夢見ていたのです。
#2に続く
文/車田和寿
涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽
車田和寿
2025/7/3
2,640円(税込)
464ページ
ISBN: 978-4910827056
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(下記「はじめに」より)
音楽にはたくさんの魅力や大切なことがあります。
その一つが「音楽は心のコミュニ ケーションである」ということです。
作曲家は自分が感じたことを音にし、その感じたことが演奏家を通して聴衆に届けられ ます。
そして作曲家や演奏家の感情が聴衆のもとに届けられた時、そこでは化学反応が起 こるのです。
聴き手は様々な感情を受け取ることで、多くの刺激を受けます。
それによっ て聴き手の心の中には、様々な感情が巻き起こり、
やがて心の中で自分自身との対話へと つながります。
しかしこのような経験は、自分が感じたことを大事にして初めて体験できることでもあるのです。